
評価: 9点
Story
はやぶさ60号は今日も、新青森から東京へ向けて定刻どおり出発した。高市(草彅剛)はいつもと変わらぬ想いで車掌としてお客さまを迎える。そんな中、一本の緊迫した電話が入る。その内容は、はやぶさ60号に爆弾を仕掛けたというもの。新幹線の時速が100kmを下回れば、即座に爆発する……。高市は、極限の状況の中、乗客を守り、爆破を回避すべく奔走することになる。犯人が爆弾の解除料として要求して来たのは、1,000億円! 爆発だけでなく、さまざまな窮地と混乱に直面することになる乗務員と乗客たち。鉄道人たち、政府と警察、さらに国民も巻き込み、ギリギリの攻防戦が繰り広げられていく。極限の状況下でぶつかり合う思惑と正義、職業人としての矜持と人間としての本能。はやぶさ60号は、そして日本は、この危機を乗り越えることができるのか!? Filmarksより
 映画『新幹線大爆破』予告編 | Netflix走り続けろ。JR東日本新幹線総合指令所に入った一本の緊迫した電話。その内容は、東京行のはやぶさ60号に爆弾が仕掛けられており、新幹線の速度が時速100kmを下回ると即座に爆発するというのだ。犯人は、爆弾を解除するために身代金として1,000…more
Review
日本人は、最後の最後まで偶発的な「奇跡」を信じないし、頼らない。
どんなに危機的な状況であっても、まず確認し、準備し、試して、再確認して、対処する。
だから、その“危機”を回避し乗り越えた瞬間も、大仰に歓喜に湧いて抱き合ったりしない。ただ静かに安堵し、握手を交わすだけだ。
それは、日本人という民族の美徳でもあり、脆さでもあろう。
ただ、「シン・ゴジラ」同様に、そんな日本人の性質、特に日本社会の中の体制的な組織に所属する人たちの“葛藤”と“闘い”を描き出した本作は、この国が生み出すべき真っ当な娯楽映画だったと思う。
「新幹線大爆破」がNetflixで“リメイク”されるという報を聞いたときは、キャストやスタッフの情報を得るよりも前に、即座に高揚した。
1975年のオリジナル版は、20年以上前に鑑賞していて、鑑賞当時すでに30年前の国産娯楽映画の圧倒的なパワフルさに対して、興奮と嫉妬を同時に感じたことをよく覚えている。
もうこの先、こんなにもスリリングでエキサイティングなパニック映画は、日本では製作されないのではないかと、落胆めいた感情を覚えるほどだった。
その落胆は、かつて1954年の「ゴジラ」第一作が孕む絶対的な畏怖や絶望感を、もう感じることはできないのだろうなと諦観していた頃の感情によく似ている。
そして、その“諦め”が、「シン・ゴジラ」の誕生によって見事に払拭された経緯にも、本作鑑賞後の感情はよく似ている。
無論、1975年版の豪胆でエネルギッシュなエンターテインメント性と、本作の性質は異なる。
だが、それに勝ると劣らない「現代」のアプローチによって、この映画は今の時代にふさわしいエンターテインメントと、この国の社会性を存分に反映してみせている。
多くの鑑賞者が頭に思い浮かべた通り、まさに本作は“シン・新幹線大爆破”と呼ぶに相応しい意欲作だったと断言したい。
オリジナル版の鑑賞者としてまず驚いたのは、本作が“リメイク”ではなく、正当な「続編」であったということ。
ほぼオリジナル版と同じ設定でありながらも、50年の歳月を経た地続きの物語であったことが、この映画の世界観に重層性を生み出していると思える。
国鉄がJRに様変わりしたことも含め、時代は大きく移り変わり、様々な物事や常識が変わった社会の中で、繰り返された大事件には、この国が辿った道程に伴う様々な軋轢やひずみが内包されていた。
1975年の「新幹線大爆破」で、高倉健演じる主人公・沖田哲男が引き起こしたあの大事件が孕んでいた、時代や社会に対する怒りと悲しみ。
その執念と怨念が入り混じった感情は、彼らの死によって潰えたはずだったけれど、50年が経っても変わらないこの国の本質的な“愚かさ”に対して、世代を越えて再び彼らの憤りが地の底から湧き上がり、一人の少女に集約されたような印象を覚えた。
昭和の大スター高倉健が、その顔面で牽引し、当時のオールスターキャストが揃った超大作であった前作と比較すると、文字通り脂汗が滲むような演者たちの「熱量」という観点では、本作はどうしても薄くは感じてしまう。
ただそれは致し方ないことだろう。本作で主演の草彅剛が演じるのは新幹線に乗務する車掌であり、ストーリーテリングのアプローチそのものが全く異なっている。
あくまでもJRという組織の一員として、懸命に自分自身の“仕事”を全うする姿こそが、本作が目指したドラマ性であり、冒頭で記した通り、現代社会の「日本人」を表現する上で適切なストーリーテリングだったとも思える。
オリジナル版と異なり、JRの全面協力を得られた要因もまさにこのストーリー性だったからこそだろう。
そして、JRの全面協力を得ることで、本作の映像的なクオリティーとスペクタクルは、オリジナル版を大いに凌駕するクリエイティブを実現している。
ノンストップの“はやぶさ60号”を舞台にした、息もつかせぬスペクタクルシーンの連続は、特技出身の樋口真嗣監督の真骨頂であろう。
オリジナル版では、現場刑事の荒唐無稽な案として一笑に付せられた“後部車両切り離し作戦!”が、本作においては見事採用され、中盤の最大の見せ場として展開されたことも、メタ的要素も孕んだ胸熱なポイントだった。
キャスト陣においても、出演者はそれぞれ安定した演技で本作のパニックを彩っていたと思う。
個人的には、のん演じる運転士と、尾野真千子演じる国会議員のキャラクター性が印象的で、キャスティングの妙味が光っていた。
ただ、本作において一つ難点を言うならば、本作の性質を踏まえると、やはり1975年版同様に“オールスターキャスト”を揃えてほしかったというところ。
結構重要な役どころにわりと名の通っていない俳優がキャスティングされていて、彼らの演技そのものは非常に良かったものの、昭和の大娯楽映画を多く観てきた一映画ファンとしては、脇役・端役に至るまでスター俳優を配してほしかったなあと思ってしまった。
兎にも角にも、映画企画としては「大成功」と言って間違いない作品だったと思う。
本作鑑賞直後に、1975年版の「新幹線大爆破」も再鑑賞してみたけれど、“娯楽性”は決して劣っていなかったし、四国在住者としては「新幹線に乗りたい!」という羨望も強まった。
惜しむらくは、この国産大スペクタクル映画を劇場のスクリーンで観られなかったことか。
Netflix映画ならではのジレンマはことさらに強く残った。
Information
| タイトル | 新幹線大爆破 BULLET TRAIN EXPLOSION | 
| 製作年 | 2025年 | 
| 製作国 | 日本 | 
| 監督 | |
| 脚本 | |
| 撮影 | |
| 出演 | |
| 鑑賞環境 | インターネット(Netflix) | 
| 評価 | 9点 | 
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