おヒサシネマ!「新幹線大爆破」“50年の歳月を経て2つのスペクタクル映画が繋ぐ怒りと娯楽性”

スバラシネマReview

評価:  8点

Story

乗客を乗せ、定刻通り東京駅を発ったひかり109号。だが列車が相模原に到達した時、国鉄本社公安本部に1本の電話がかかってくる。男によると、109号には爆弾が仕掛けられ、80km以下になると爆発するという。さらに犯人は500万ドルという膨大な金を要求し…。 Filmarksより

 

Review

Netflix版の「新幹線大爆破」を鑑賞して、想像以上の“大満足”を得た翌日、およそ20年ぶりに1975年公開のオリジナル版を再鑑賞した。
20年前に本作を鑑賞した時の衝撃はことさら大きく、公開当時の日本映画界の「熱量」に圧倒されたことをよく覚えている。
昭和時代の最盛期の国内娯楽映画の豪胆なエンターテイメント性は、もうこの先日本の映画界が生み出すことはできないのではないかと落胆していたけれど、ここ数年ぽつぽつではあるものの、往年の昭和娯楽映画に勝るとも劣らないエンターテインメント作品が、国内でも誕生しつつあるのは嬉しいことだ。

ただし、改めて1975年に生み出された本作を鑑賞してみると、その娯楽性は、やはりこの時代にしか生まれ得なかったのだと痛感する。

まず特筆すべきは、“主演俳優”の圧倒的な顔面力だろう。昭和のNo.1スター高倉健、その大俳優の風貌と立ち振舞が、このスペクタクル映画を支配していると言って過言ではない。
ざっと逆算してみると、公開当時の高倉健は44歳。(なんと今現在の自分自身と同い年であることに一人驚愕している……)身体的にも男盛りのこの無骨なスター俳優が、国鉄と警察という体制に対して、抗い、暗躍する姿はやはり格好良い。
本作の主人公・沖田哲男は決して完全無欠な人間などではなく、不器用で、不運な町工場の社長に過ぎない。そんな人生に失敗した男が、慕われた仲間と共に、無謀な“反逆”に怒りをぶつけるしかなかったその悲哀が切ない。

そしてその主人公を筆頭にした人間ドラマの構図と、社会構造の葛藤こそが、この映画の醍醐味であり、映し出されるスペクタクルの根幹を成す要素だった。

高度経済成長の時代に酷使され消費され、冷や飯を食わされてきた労働者たちの憤怒とフラストレーション。
そんな時代の象徴として生み出され後の「安全神話」を宿命付けられた国鉄職員たちの重圧とプライド。
光と闇が並行して進化し発展する社会において、あらゆるしがらみの中で、体制側の面目と秩序を守らざるを得ない警察組織の焦燥とジレンマ。
そして、そんな三者の思惑が絡み合う攻防に、巻き込まれ、また群がる日本社会の大衆たち。

それはやはり、1975年当時にしか生み出すことはできない映画世界であり、ストーリーテリングだったと改めて実感した。

 

20年前に本作を観たときは、「もうこんな映画は生み出せない」と落胆した。でも、実際はそうではなかった。
時代が変わり、映画の製作環境や公開形態も変わり、象徴的な大スター俳優が不在だろうとも、そこに「現代社会」があり、今この時代ならではの問題や不満、それらに対するあらゆる感情が渦巻く限り、それを汲み取った「面白き映画」は必ず誕生し続ける。

そして、“リメイク”ではなく、この1975年版の「続編」として新しい“新幹線大爆破”が描き出された意味と意図も、そんな時代を越え、変遷した日本社会において、変わらず存在し続ける怒りや不満を、再び描きつけるということにあったのだと思える。

そういうことを、50年の年月を経て生み出された2つの「新幹線大爆破」を鑑賞して思った。

 

「新幹線大爆破」“日本人は「奇跡」に頼らず、確認し、準備し、試し、再確認して、対処する”
日本人は、最後の最後まで偶発的な「奇跡」を信じないし、頼らない。 どんなに危機的な状況であっても、まず確認し、準備し、試して、再確認して、対処する。 だから、その“危機”を回避し乗り越えた瞬間も、大仰に歓喜に湧いて抱き合ったりしない。ただ静かに安堵し、握手を交わすだけだ。

 

Information

タイトル 新幹線大爆破 SUPER-EXPRESS 109 THE BULLET TRAIN
製作年 1975年
製作国 日本
監督
脚本
撮影
出演
鑑賞環境 インターネット(Netflix)
評価 8点

 

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