評価:
9点Story
魔法が使えたらいいな、と考えたのび太。ひみつ道具の“もしもボックス”で現実の世界を魔法の世界に変えてしまう。だが、そこでものび太は落ちこぼれ。そのうえ、元の世界に戻そうと思ったのにママがもしもボックスを捨ててしまって戻せなくなる。そんなある日、ドラえもんたちは魔法研究家の満月先生と娘の美夜子に出会い、のび太がこの世界を魔法の世界にしてしまったために、魔物たちが棲む“魔界”が地球に接近していると知らされる。ドラえもんたちは魔界の大魔王の急所である心臓に銀のダーツを打ち込んで、地球侵略を阻止しようとするが、大魔王には効かず、逆に美夜子を捕らえられてしまう。ドラえもんたちはこうなったらタイムマシンで過去に戻って、のび太にもしもボックスを使うのをやめさせようと考えるが、のび太たちの世界は元に戻っても、魔法の世界の出来事はそのまま続いていて…!? allcinemaより
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Review
“STAY HOME”なGWも最終日。我が家では、家族そろってドラえもん映画を観て午後を過ごした。
2007年公開のリメイク版「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~」は、適切な“改変”を含めて、1981年生まれのオールドファンも納得せざるを得ない良作だった。
改変ポイントは多岐に渡っていたが、それらの殆どが、オリジナルのストーリー性をきちんと踏まえた上で、F先生(藤子・F・不二雄)の原作漫画ですら描き切れていなかったウィークポイントを精力的に補っており、思わず感心してしまった。
特に、見事だったのは、パラレルワールドとして生み出された「魔法世界」の危機と並行して、現実世界においても地球規模の危機を描き、二つの世界が相互に影響しあっているというSF的な整合性を、極めて簡潔に表現していたことだ。
それにより、あの“フェイクエンディング”におけるのび太の決断の価値が殊更に高まっていた。
ただし、その一方で、オールドファンにとっては拭い去れない“物足りなさ”も存在していた。
それはずばり「魔界大冒険」ならではの「恐ろしさ」や「不気味さ」の欠落であり、言い換えるならば、「魔法」や「悪魔」に纏わる歴史文化に対するF先生の「趣向」そのものが薄れていたことに他ならなかった。
この1984年公開のオリジナル映画や、原作漫画(大長編ドラえもん)には、それらの文化に造詣が深いF先生ならではの魅力的な設定や造形で満ち溢れていた。
“実はゲストヒロインの○○だった”なんて裏設定など皆無で只々不気味で恐ろしい“メジューサ”をはじめ、肉食角クジラの恐怖や、帰らずの原の絶望感、魔界のハイエナ、人魚、大魔王の心臓等の印象的なビジュアルの数々には、F先生の“魔法(悪魔)愛”と、それに伴う独創性が詰め込まれていた。
そして、今回久しぶりにこのオリジナル映画を再鑑賞してみると、当時の録音技術ならではのくぐもったような音声と、それによる一つ一つの台詞までもが、自分の脳裏に張り付くように残っていたことに気づいた。
それは本作が、幼少時、VHSが擦り切れるくらいに何回も観たアニメ映画の一つであることの証明であり、そういった“感覚”の一つ一つを含めて、この映画の価値が揺らぐことはないのだろうと改めて思った。
それはもはや、オリジナルとリメイクのどちらが良い悪いという話ではないのだろう。
20数年の時を経て制作された二つの「のび太の魔界大冒険」は、両作とも原作をリスペクトし、精力的に生み出された優れたアニメ映画である。
30年来のファンとしては、自らの子どもたちと共に、それぞれの作品を楽しめるという「幸福」を、素直に噛みしめるべきだろう。
ああ、あとそれと、やっぱり最後の“銀のダーツ”はジャイアン(名投手)に投げさせなきゃね!
Information
タイトル | ドラえもん のび太の魔界大冒険 |
製作年 | 1984年 |
製作国 | 日本 |
監督 |
芝山努
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脚本 |
藤子不二雄
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作画監督 |
富永貞義
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声の出演 |
大山のぶ代
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小原乃梨子
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野村道子
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肝付兼太
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たてかべ和也
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小山茉美
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中村正
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加藤正之
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千々松幸子
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若山弦蔵 | |
鑑賞環境 | インターネット(Amazon Prime Video) |
評価 | 9点 |
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