#日本映画

2026☆Brand new Movies

「ルック・バック」“アニメ映画の奇跡を追うのではなく、慈しみ、敬った大人の最適解”

4人の若い女優たちが、それぞれに見せる透き通るような眼差し。実際に映像として映し出されているかどうかではなく、その瞳に映る光、彼女たちが演じるキャラクターを通して見ている“視界”を感じ取れた時、この実写化には揺るぎない価値があると思えた。
2026☆Brand new Movies

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 〈ワルプルギスの廻天〉」“悪夢から醒めたような空虚感がもたらす渇望”

2013年に公開された前作から13年。満を持して創造されたこの最新作は、輪廻のような堂々巡りの果てに、少女たちの絶望と希望を等しく深め、映画世界のキャラクターたちも、それを観ている私たちもひっくるめて、途方もない境地へ連れて行く。
久々鑑賞☆おヒサシネマ!

おヒサシネマ!「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語」“12年ぶりの悪夢は、記憶の断片のみが残り続ける”

このアニメーション映画は、まさに「悪夢」という表現がふさわしい。満を持して公開される新作長編を目前に控えて、TVシリーズを再鑑賞。そして、[新編]と銘打たれた本作を12年ぶりに再鑑賞した。その光景はまさに、12年ぶりに蘇った「悪夢」だった。
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久々鑑賞☆おヒサシネマ!

おヒサシネマ!「スワロウテイル<4Kリマスター>」“そして、また私は現実と「円都」の境界線を見失い続ける”

およそ30年前、たぶん中学3年生だった私は、レンタルビデオ店で1本の日本映画を借りてきて、自室で一人鑑賞した。その映画は、当時“趣味”として映画を観始めたばかりで、地元の映画館で封切られる大衆向けの娯楽映画を中心に観ていた中3の少年にとっては、とても艶めかしく、猥雑で、エキセントリックだった。
2026☆Brand new Movies

「時には懺悔を」“表裏一体の懺悔と感謝を抱えて、生きていく”

時を重ね、己の人生を重ねていけばいくほど、私は“優しい人間”ではないということを思い知り、落胆する。そういうとき、いつも思い出されるのは、中学生か高校生の頃、体を悪くして一時実家に同居していた祖母に対して、冷たく当たってしまった日々──
2026☆Brand new Movies

「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」“あの頃を思い出して嫌い、と拒否できない僕は”

青臭さと、痛々しさに、彼らを直視できない時間が、確実に存在していた。それは、映画として致命的な欠陥であると共に、今年45歳の私自身がこの青春映画を観るに相応しい「層」ではないことを突きつけられているようで、所在なさのような、寂しさのようなものを感じた──
2026☆Brand new Movies

「開戦前夜」“今この瞬間の空気感を感じ、侃々諤々の議論を繰り広げ続けなければ”

本作は、「総力戦研究所」という、これまであまりつぶさには語られてこなかった研究機関に集った人物たちの視点と苦悩から、この国の「戦争」と「敗戦」の本質を描き出していた。この国の何が戦争を引き起こし、そして「崩壊」へと至らしめたのかということを、文字通り侃々諤々の“議論”と共に突きつける。
2026☆Brand new Movies

「226」“いまこの世界のきな臭さに感じる、過去の愚行と悲哀を学ぶ必要性”

本作で描かれる陸軍青年将校らの言動から、当時の日本社会、そして日本人そのものの愚かさと悲しさは感じられた。意気込んで颯爽とクーデターに臨んだ青年将校たちの鼻息の荒さが、「現実」を目の当たりにし、一転して打ちひしがれ、消沈し、尻込みする姿には、単なる愚かさを超えた哀しさを覚えた。
2026☆Brand new Movies

「映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城」“バギーの献身から感じるAIとの向き合い方と、ドラ映画への感謝”

80年代生まれの私は、「ドラえもん」のオールドファンと言って間違いない。藤子・F・不二雄の信奉者でもある私にとって、“大長編ドラえもん”シリーズの第4作「のび太の海底鬼岩城」は、言うまでもなく人生におけるフェイバリットである。
2026☆Brand new Movies

「木挽町のあだ討ち」“「時代劇娯楽」を堪能し晴れ晴れとした気持ちで劇場を後にした”

原作やあらすじをほぼ把握したまま鑑賞に至ったが、つまるところ、この文字通り芝居がかったアバンタイトルを観た時点で、本作が紡ぐであろうストーリーの本筋は感じ取れてしまう──けれど、
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