
評価: 7点
Story
日本中を震撼させた凶悪な殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)が脱走した。潜伏し逃走を続ける鏑木と日本各地で出会った沙耶香(吉岡里帆)、和也(森本慎太郎)、舞(山田杏奈)そして彼を追う刑事・又貫(山田孝之)。又貫は沙耶香らを取り調べるが、それぞれ出会った鏑木はまったく別人のような姿だった。間一髪の逃走を繰り返す343日間。彼の正体とは?そして顔を変えながら日本を縦断する鏑木の【真の目的】とは。その真相が明らかになったとき、信じる想いに心震える、感動のサスペンス。 Filmarksより
 https://youtu.be/WOTyCcO1MZU
Review
今年は、横浜流星という俳優にハマりつつある。(いやハマっている)
これまで何となく演者として軽薄な印象を持ってしまっていたけれど、今年鑑賞した「片思い世界」そして「国宝」での役者としての“華”が本物であることを痛感した。そして、半年遅れで鑑賞し始めたNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を見進めていくに伴って、その思いはさらに深まっている。
役者の“華”と表現すると、上辺の格好良さや端正さのイメージが先行しがちだが、横浜流星という俳優からはその美貌以上に、内面から醸し出される演者としての魅力を感じ取ることができる。
それは言い方を変えると、「魔性」とも表現できるだろう。
見た目の秀麗さを越えて、人々を魅了するある種の“人たらし”感。その感覚は、この俳優が今後さらに稀有な存在になりうることを確信させる。
そんな“人たらし”としての要素は、本作の主人公像に合致し、映画世界の中で息づいている。
死刑判決を受けた凶悪殺人犯が、脱走し、1年余りの逃亡生活の中で、人々と出会い、好かれ、それぞれの信頼を築いていく。よもや殺人犯だとは思いもしない人々は、その“正体”とのギャップに困惑し、より一層この人間に惹かれていく──。
本作において最も重要なのは、主人公・鏑木慶一が、出会って間もない人たちから好かれ、信頼される誠実な人間であることを納得させると同時に、物語の最終盤まで「本当に殺人犯かもしれない」という疑念を、作中の登場人物たちと、我々観客に抱かせ続けなければならないということだったと思う。
明らかに“善人”に見えすぎても駄目だし、逆に明らかに“悪人”に見えても、この映画は成立しなかっただろう。
原作小説の文体の中では、その点の表現はいくらも手法があっただろうけれど、映画世界の中で本人が目に見えてしまっている以上、役者に委ねられる要素は非常に大きく、困難なものだったと思える。
その主演俳優に求められた重責を、横浜流星は見事に果たしている。
“正体”を隠し、身を潜め、息をひそめ、ひっそりと生活しながらも、僅かに関わる人たちへの慈愛を決して隠すことができない主人公像からは、この人物が間違いなく好青年であることを信じさせる。
ただし、その一方で、彼が一瞬垣間見せる眼差しや挙動からは、より深くに隠された狂気性めいたものが見え隠れしているように感じる。
そのさまを、姿を変え、仕事を変え、人間性そのものを変えて繰り広げる逃亡生活描写の中で、横浜流星はきっちりと表現してみせていた。
主演俳優の演者としての魅力を存分に堪能した一方で、サスペンス映画としては、少々踏み込みの甘さを感じる部分もあった。
凶悪殺人犯の逃亡生活を描く上で、1年余りという物語上の時間経過は決して長い期間ではないだろう。ただだからこそ、映画の限られた尺の中では、その濃縮された1年間の人物の機微を描ききれていなかったようにも感じた。
少ない描写の中で、主人公が極めて短期間で、風貌を変えて、次々と仕事にありつき、順応しているように見えてしまうため、一人間としての“チートぶり”が少々違和感となってしまったことは否めない。
逮捕当時18歳の少年が、極限的な状態とはいえ、あまりにも社会に順応しすぎていることも、やや不自然に思えた。(原作小説を未読なので、そのあたりに物語構成を文体ではどのように表現し、成立させているのか気になる。)
映像表現上の描写がやや希薄なまま、感動へ着地させようとする終盤のストーリーテリングには、やはりのめり込み切れない部分があった。
むしろ、主人公及び主演俳優の「魔性」を最大限活かして、その“正体”を明確にしないまま終幕させて見せたほうが、映画的な余韻は深まったかもしれない。

Information
| タイトル | 正体 | 
| 製作年 | 2024年 | 
| 製作国 | 日本 | 
| 監督 | |
| 脚本 | |
| 撮影 | |
| 出演 | |
| 鑑賞環境 | インターネット(Netflix) | 
| 評価 | 7点 | 


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