評価:
8点Story
ロンドンに越してきた女性の娘が行方不明になった。彼女は兄とともに娘を探すが、まったく手がかりが掴めない。捜査に乗り出した警部は、消えた娘というのは、彼女の妄想ではないかと疑い出す……。倒錯した愛が生み出すサスペンス・スリラー。 allcinemaより
Review
某映画評論家のポッドキャストを聴いて以来、長年観たかったミステリースリラーをようやく鑑賞。
或る兄妹の哀しき異常性がおぞましくもあり、切なくもある作品だった。そして、映画評論家が“トラウマ映画”として紹介していた通り、ラストのシークエンスはまるで悪夢に引きずり込まれるかのような異常性が溢れていた。
主人公が行方不明になった家族や知人を探すが、まったく見つからず、周囲からは行方不明者の存在すら疑われるというプロットは、記憶の新しいところではジョディ・フォスター主演の「フライトプラン」や、古くはアルフレッド・ヒッチコック監督作の「バルカン超特急」がある。
ただ本作の場合は、行方不明になった主人公の幼い娘が、映画の最初から画面上には映し出されないという巧みな趣向により、観客をも巻き込んだ「疑心」に拍車をかけている。
主演のキャロル・リンレーの情緒不安定な演技プランと共に、「バニーは本名ではない」「バニーは孤独な少女時代の空想の友達の名前」という事実が次々に明かされ、「何が本当なのか」というクエッションを映画世界内外の人間に生むストーリーテリングが見事だったと思う。
現代社会であれば、あらゆるデジタル媒体やネットワーク上の情報により、個人の実在を証明することは容易かもしれない。けれど、この映画の時代である1960年代においては、書面一つの証明価値が極めて高く、そこに名前が記されないだけで存在そのものを疑われてしまうという時代性も興味深いところだ。
とはいえ現代であっても、もし個人の存在を証明するデータの一切が消失してしまえば、一転して実在を疑われてしまうどころか、存在の否定に直結するのではないか。そこには、今この時代ならではの新たな“恐怖”がはらんでいるように思える。
私自身、長年ブログやSNSで発信を続ける深層心理には、無意識レベルでの「実在の証明」に対する恐怖が存在しているように思うのだ。つまりは、「私はここにいる」という承認欲求の表れだろう。
自分自身を含め、世の中の多くの親が、自分の子の写真や動画を積極的に発信する背景には、そういう現代社会ならではの孤独感やそれに伴う恐れが、実は潜んでいるのではないかとすら思えてくる。
そういう観点を踏まえると、このデジタル時代ならではの「バニー・レークは行方不明」を創作してみても面白いのではないか。そこにはきっと新たな恐怖やトラウマが生まれることだろう。
Information
タイトル | バニー・レークは行方不明 BUNNY LAKE IS MISSING |
製作年 | 1965年 |
製作国 | アメリカ |
監督 | |
脚本 | |
撮影 | |
出演 | |
鑑賞環境 | BS(字幕) |
評価 | 8点 |
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画像引用:https://www.nytimes.com/
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