評価:
10点Story
神戸に住む渡辺博子 (中山美穂) が、山の遭難事故でフィアンセの藤井樹 (いつき)を亡くして 2 年が経った。 三回忌の帰り道、樹の家を訪れた博子は、樹の中学時代の卒業アルバムから彼がかつて住んでいた小樽の住所を見つけ出した。 博子は忘れられない彼への思いをいやすために、 彼が昔住んでいた小樽=天国へ一通の手紙を出した・・・。 ところが、あろうはずのない返事が返ってきた。やがて、博子はフィアンセと同姓同名で中学時代の同級生、ただし女性の藤井樹が 小樽にいることを知る。博子の恋 樹の恋。 一通のラヴレターが埋もれていた二つの恋を浮き彫りにしていく。小樽を舞台に中山美穂、豊川悦司が贈るピュアラブストーリー。中山美穂が渡辺博子と藤井樹の難しい二役に挑戦している。 Filmarksより
『Love Letter』【4K リマスター】特別動画[2025年4月4日(金)公開]世界中で愛され続ける、恋愛映画の金字塔が4Kリマスターでスクリーンに!<公開30周年記念>映画『Love Letter』【4Kリマスター】[2025年4月4日(金)公開]“ お元気ですか?”“ 私は元気です。”1995年3月25日に封切られ…more
Review
岩井俊二の『Love Letter』を初めて観たのは、1999年だった。劇場公開から4年が経過していて、当時高校3年生だった私は、レンタルビデオ(VHS)で本作を初鑑賞した。
鮮烈だった。
同監督の『スワロウテイル』はそれよりも前に鑑賞済みだったけれど、『Love Letter』を観たことで、私はこの映画監督の虜になったのだと思う。同年の映画鑑賞の記録を見てみると、『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』『PiCNiC』『FRIED DRAGON FISH』『四月物語』と、岩井俊二作品を立て続けに観ていたので、それは明らかだろう。
そして私は、翌年、自分もそういう作品を生み出してみたいと志し、映画製作の専門学校に進学するために上京したわけだから、岩井俊二の作品、とりわけこの『Love Letter』が、自分自身の人生においてとても大きなトピックスだったことは間違いない。
それから月日が流れ、映画製作の道は断念し、帰郷し、結婚し、子を持ち、四十路をとうに超えて2025年の現在に至る。
その間、当然ながら本作は何度も繰り返し鑑賞してきた。VHSから始まり、DVD、Blu-ray、TV放送、WEB配信と、さまざまな鑑賞形態を経て、今回ついに劇場鑑賞。
1995年の劇場公開から30年、そして、あまりにも突然に中山美穂が亡くなってしまってからわずか4ヶ月後の4Kリマスター上映は、ことさらに感慨深く、私の記憶と感情に深く染み入っていくようだった。
以下、本作に対する過去の自分自身のレビューからの引用も含めつつ、改めて綴りたいと思う。
『Love Letter』という、ロマンティックの代名詞とも言うべきワードを冠した本作の中心に存在するものは、「死」だ。
現代における「寓話」的な表現で綴られるストーリーテリングの中で、「死」は常にその傍らに寄り添うように存在し、本作の“二人の主人公”は、それを常に感じている。
そこにあるのは決して不穏さや呪縛的なものではなく、人間の営みの中で、「生」と平等に在り続ける「死」に対する誠実な姿勢だった。
その主人公たちの姿勢や、映画作品としてのスタンスが、この映画の芯の部分でぴんと張り詰めている。
雪原の中で息を止める主人公を覆う突き刺さるような空気感と、主人公が風邪気味で過ごす部屋の中の暖かな空気感が絶妙なバランスで映画自体を包んでいるように感じる。そしてその対比は、中山美穂演じる二人の主人公の、一人の男に対する想いにそのままつながっていく。
冷たく澄んだ空気感は死んでしまった恋人(=現実)を思い続ける博子を包み、暖かく朧気な空気感は遠い記憶の中の淡い恋心に気付く藤井樹を包み込んでいく。
そして、その空気感が各々の想いと、二人が共に経験した親しい人間の「死」の記憶に混ざり合い、この先の「生」へと昇華されていく。
記憶の交錯と追想。その奇跡を織りなした「手紙」というコミュニケーション。
「拝啓、藤井樹様。お元気ですか? 私は元気です。」と、主人公・渡辺博子が亡き恋人に送った手紙の一節は、そのままクライマックスにおける感情的なクライマックスとして使用される。
彼女は、届くはずのなかった手紙のやりとりを通じ、それをきっかけとして、ようやく塞ぎ込まれていた自らの感情を吐露し、自分自身を解放する。
このクライマックスまでの大筋を表面的に捉えると、この映画の主人公は渡辺博子に見える。
だが、そこに藤井樹というもうひとりの女性の人生と記憶が重なってくることで、この映画はまさに奇跡的な物語を紡ぎ出す。
わけの分からぬ手紙を受け取ったことから、主人公(藤井樹)は、遠い記憶の中の或る男子の眼差しと、自らの人生における「死」にまつわる思い出に再会する。
徐々に蘇っていく記憶は、光となり、熱となり、痛みとなり、「死」の影と共に、彼女を覆い尽くす。
失った大切な人物の記憶を辿る物語から、失ったことすら気付いていなかった記憶を取り戻す物語が、交錯し、追想する妙。
普遍的な「死」と、奇跡的な「邂逅」が織りなすこの物語は、30年間の個々人の記憶や感情と共に、鑑賞者を包み込み続ける。
亡くなった“藤井樹”が、最後に借りた書籍は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』
30年という年月は、この映画の作り手の記憶、出演者の記憶、そして鑑賞者一人ひとりの記憶を巻き込んで、本作の情感をさらに深めていることに、初めての劇場鑑賞で気づいた。
そこには、数々の失われたものの記憶も含まれる。卒業アルバムの住所録も、図書館の貸出カードも、インスタントカメラも、あるいは手紙すなわち“Love Letter”そのものも、過ぎ去りし時代に残されたエッセンスだろう。
そして、無論、誰も望まなかった愛しき人の悲しい報せも。
そういった私たちの感情すらも見越して、この映画は今も、そしてこれからも、中山美穂の偶像と共に、大切な「手紙」のように残り続けるのだろう。



Information
タイトル | Love Letter |
製作年 | 1995年 |
製作国 | 日本 |
監督 | |
脚本 | |
撮影 | |
出演 | |
鑑賞環境 | 映画館 |
評価 | 10点 |
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