
評価: 7点
Story
ダース・ベイダーの死と帝国の崩壊後、銀河宇宙は無法地帯と化していた。 一族の厳格な掟に従って他人に素顔を見せず、どんな仕事でも完璧に遂行する冷酷無比な孤高の賞金稼ぎ“マンダロリアン”は、ある日一件の仕事を請け負う。それは強大なフォースの力を秘め、世界を変える存在とも言われる“ザ・チャイルド”ことグローグーを生きたまま依頼人のもとに届けるというものだった。 多額の報酬と引き換えに、一度はグローグーを引き渡したマンダロリアンだったが、この子に不思議な縁を感じた彼は、依頼に背いてグローグーを奪還。長く果てしない旅の中で、2 人は次第に親子のような絆を育んでいく。だが、何としてでもグローグーの力を手に入れたい旧帝国軍の残党が彼らを追う。果たしてマンダロリアンとグローグーに待ち受ける運命とは? Filmarksより
「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」日本版吹替版予告|「親子の絆」編|5月22日(金)劇場公開!“スター・ウォーズ”最新作が映画館に帰ってくる!帝国が崩壊し、無法地帯と化した銀河に生きる、どんな仕事も完璧に遂行する孤高の賞金稼ぎマンダロリアンと、強大なフォースを秘めたグローグー。帝国の復活を狙う新たな戦争を阻止する最後の希望は、父子を…more
Review
タイトルで示されている通り、本作は、マンダロリアン(すなわちディン・ジャリン)と、彼の“子”となったグローグーが主人公の映画である。無論、ドラマシリーズ「マンダロリアン」と地続きの物語であるけれど、作品の性質として、製作者側としても、我々観客側としても「区別」すべきものなのだろう、ということをまず感じた。
ドラマシリーズの一つの到達点としてこの劇場版があるというよりも、ドラマシリーズの「番外編」として、本作を捉えて、シンプルに楽しんだほうが、双方にとって幸福なように思える。
何が言いたいかというと、本作に向けた“必須科目”として、「マンダロリアン」の3シーズンおよび、“シーズン2.5”的位置づけの「ボバ・フェット/The Book of Boba Fett」を、しっかりと履修してきた者としては、本作のストーリーの“深まり”の部分で物足りなさは拭えなかったし、そもそもそういうことを求めるべき作品ではなかった。
ドラマシリーズ“本編”で登場した主要キャラクターたちが、本作ではほぼ登場しなかったことからも明らかなように、この劇場版は、既存のファンのための“ゴール”というよりも、新たなファン獲得に向けた“スタート”として作用させるために製作された作品のようにも感じた。
娯楽性に溢れた本作をまず観てもらって、マンダロリアンとグローグーのキャラクターそのものへの魅力を感じてもらい、既出のドラマシリーズ、そして今後も製作されるであろう“シーズン4”に向けて、ファンの裾野を広げるための作品だったのだろう。
本作の“目的”を理解した上で、改めて振り返ってみると、この映画のエンターテインメントとしての在り方は、至極真っ当で、正しい。
冒頭の、旧帝国側の残党に対する急襲シーンから、ラストのハット族の砦からの脱出シーンに至るまで、まさしく“SW的”な娯楽性とケレン味に溢れている。
その娯楽映画としての在り方は、すべてのはじまりである“エピソード4”の立ち位置にも近く、SWの世界観をまったく知らない人が観ても、「マンダロリアンかっこいい!」「グローグーかわいい!」と、愛着を持てるに違いない。
そういう部分からも、本作がSWシリーズ全体における“リスタート”のための一作として製作されたことが垣間見えてくる。
全世界の子どもたちをはじめとする、SW未開拓の層が、本作に触れ、ドラマシリーズを観て、“エピソード4”や“エピソード1”に遡り、SWの広大な世界を新たに開拓していく──。
意地悪な言い方に聞こえるかもしれないが、それはディズニーという強大な“帝国”による、正しい“戦略”だろうと思える。
と、一抹の不満が滲み出ている本作への苦言めいた吐露はここまでにして、ここからは私が本作に感じた本当の素晴らしさを述べたい。
グローグーをはじめとするキャラクターやクリーチャーの造形が、本当に素晴らしかった。
ストーリーの深掘りを敢えて抑えている分、本作の価値は、キャラクター造形に振り切っていると言ってもいいだろう。
本作に対して「人形劇だ」と否定的に揶揄する言葉も見かけた。その否定に対しては全く同意しないけれど、発言そのものは言い得て妙だとも思う。
私は、本作のグローグーの動きや、彼から溢れ出る感情に、日本の伝統芸能である“人形浄瑠璃”のような奥深さを感じた。実際に撮影現場の映像を見てみると、パペット表現にこだわった撮影シーンでは、複数人のスタッフがグローグーを緻密に動かしているような様も見受けられる。
すべてCGで作成してしまえば、グローグーの動きはもっと違和感なく自然で、自由度が高いのだろう。
けれど、ジョン・ファブローをはじめとする製作陣はそれを選択せず、敢えてこのキャラクターの動きにぎこちなさや不自由さを与えている。
ドラマシリーズの序盤では、私自身もグローグーの造形や動きに対して、違和感や異物感を感じていたことは否定しないけれど、徐々にその造形が「生命体」としての説得力を帯びてくるから不思議だ。
そこに存在しているのは、製作側のクリエイティビティの技術と意識の高さ、そして、我々観客の“想像力”の賜物だと思う。
人間は、目に見えているもの、そこに存在しているものそのものに対して感動するのではなく、目に見えているクリエイティブに対して、自分自身の想像力が掻き立てられ、それに重なった時に初めて感動するのだと思う。
“エピソード5”で初登場した“ヨーダ”は、完全にパペットで造形された何とも奇妙なキャラクターだったが、SWの世界観すらも超えて愛される人気キャラとなった。それは、観客がこの奇妙な動きをするキャラクターへの想像を膨らませて、ルークとの掛け合いも含めて愛着を持ったからだろう。
一方で、“エピソード2”や“3”で、ライトセーバーを振りかざし、縦横無尽に飛び回るフルCGで映し出されたヨーダに対しては、驚きはしたけれど、キャラクターへの愛着や感動は薄まった。
CGやAIによるクリエイティブが飽和し、どんなに精巧な映像世界を見ても、疑心がつきまとい、感動しづらくなった現在。
本作がグローグーというキャラクターを通じて表現し、追求しようとしたことは、かつて我々が純粋に感じていた「映画を観る楽しみ」そのものだったのではないかと思える。
キャラクター造形に関しては、“ロッタ・ザ・ハット”への愛着も忘れ難い。まさか、ジャバ・ザ・ハットの息子がこんなにも好漢として描き出されるとは。当然、“シーズン4”での再登場を期待したい。
ロッタのみならず、“新しいファン層”という膨大な仲間たちを引き連れて、マンダロリアンとグローグーの冒険は続く。


Information
| タイトル | スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー STAR WARS: THE MANDALORIAN AND GROGU |
| 製作年 | 2026年 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | ジョン・ファヴロー |
| 脚本 | ジョン・ファヴロー |
| デイヴ・フィローニ | |
| ノア・クロア | |
| 撮影 | デヴィッド・クライン |
| 出演 | ペドロ・パスカル |
| シガーニー・ウィーヴァー | |
| ジョニー・コイン | |
| ダグ・チャン | |
| デボラ・チョウ | |
| デイヴ・フィローニ | |
| 声の出演 | ジェレミー・アレン・ホワイト |
| マーティン・スコセッシ | |
| スティーヴ・ブラム | |
| シャーリー・ヘンダーソン | |
| スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン | |
| アンソニー・ダニエルズ | |
| 鑑賞環境 | 映画館(字幕) |
| 評価 | 7点 |
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