数多のミステリー作品のもはや「礎」とも言えるものが、アガサ・クリスティのミステリーだと思う。それは「王道」であり、ありきたりに感じようが、展開が強引で腑に落ちないと感じようが、否定出来る術は無い。
ただその「王道」に対して、敢えてというか、改めて苦言を呈することができるのならば、一つだけ言いたい。
現場となる遊覧船に同乗しながら、3度の殺人を繰り広げられ、挙げ句犯人の死も食い止められずにいて、よくも「いい推理だった」なんて言えたものだ……。
これまで他の作家の作品でも大いに感じてきたことだが、物語を冷静に振り返ると、その違和感はいつもつきまとう。
ただし、そういう違和感を感じたからと言って、この映画が面白くないなんてことは断じてない。
それは、アガサ・クリスティーのミステリーにおける「王道」ぶりは、その違和感さえも含むからだ。
一見すると、ミステリーの主人公は「謎」を解き明かす“名探偵”のように思える。
でもそれは間違いで、ミステリーの主人公は事件の発生によって巻き起こる「謎」そのものであり、そもそも「謎」が生まれそれが解き明かされない限り、主人公は登場すらしないことになる。
エルキュール・ポワロをはじめとする名探偵は、物語の狂言回しに過ぎないのだ。
入り組んだ「謎」を物語の中で優雅なまでに繰り広げ、狂言回しの名探偵がその正体を浮かび上がらせ、犯人の死によって締める。
そのすべてが、ミステリーに許された「美学」であり、それを如実に反映したこの映画もその優雅な美意識に溢れている。
「ナイル殺人事件 Death on the Nile」
1978年【英】
鑑賞環境:BS
評価:7点
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