「ディア・ドクター」

2010☆Brand new Movies

 

山里の無医村で偽医者として、医療を生業とする主人公。
唯一の医者を神のように崇拝する村人たち。
“嘘”はいつまでもつづくことはなく、偽医者は遂に逃げ出す。

この映画、この監督の凄いところは、人間を決して“綺麗”には描かないことだ。
たとえば、同じプロットであったとしても、主人公にもっと使命感を持たせ、村人をはじめとする周囲の人間の感情にもっと温もりを持たせれば、とても涙溢れる感動的な映画になっただろうと思う。

しかし、この映画は、そういう安直な感動を否定する。
それは、人間の持つ本質的な弱さや不安定さを、この監督はよく知っていて、認めているからだ。

主人公は、安易な自己満足のために偽医者を演じはじめ、大金を得て、何となく誤摩化し、偽り続けながら生きている。
村人たちは、決して声には出さないが、実はその“偽り”にも気付いていて、ただ“無医村”という自分たちの状況におけるとてつもない“不安”を覆い隠すために、それを盲目的に認めている。

偽っていたのは、主人公の無免許医だけではない。村全体が、互いの弱さを支え合うように、偽ってきたのだと思う。

だからこそ、主人公が無免許医であるということが具体的な形で判明した後の村人たちの反応は、極めて冷ややかで、彼を擁護する者は無い。ただし、彼のことを全否定できる者も同時に無い。それは、偽っていたのが彼だけではないということを、誰もが知っているからだ。

「その嘘は、罪ですか」とこの映画は問う。
もちろん、罪だとは思う。ただその罪には、加害者も被害者もない。
「嘘」に関わったすべての人間が、加害者であり、被害者だったと思う。
そして、嘘をつかなければならなかった「状況」にこそ、本当の罪があると考えさせられる。

正直、観終わった直後は、想像以上に感動が薄かったせいもあり、一寸の物足りなさを感じてしまった。
しかしそうではなく、その物足りなさの中に存在する見えない感情こそ、この映画が伝えようとすることだと思う。

“偽り”に溢れた厳しく切ない人間模様。ただそれを「悲哀」のみでは描かないことも、この映画の“深み”であろう。
どんなに厳しい事情の中でも、人間は“笑う”ことが出来る。
この監督が、人間の根本的な脆さを描く中で、芸人を多用することは、そういった人間の一抹の“強さ”を示したいことに他ならないのではないかと思う。

鶴瓶師匠の決して目の奥が笑っていない恵比寿顔は、まさにベストキャスティングで、その表現力は最高だったと思う。
そして、前作「ゆれる」に続き、またもや一筋縄ではない人間ドラマを創り上げてみせた、西川美和。その若き女流監督の懐の深さに感嘆する。

「ディア・ドクター」
2009年【日】
鑑賞環境:DVD
評価:9点

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