
評価: 7点
Story
現役を引退した元一流スパイの男は、教官として後進の育成に励みながら、婚約者と平穏な日々を過ごしていた。そんなある日、彼のもとに教え子の女性スパイが拉致されたとの情報が入る。彼は、かつての同僚らと彼女を助けに向かう。 Googleより
Review
「ミッション:インポッシブル」シリーズを、アクション映画史に残る傑作シリーズへと次のレベルに引き上げたのは、本作に続くシリーズ第4作目“ゴースト・プロトコル”だったと思うけれど、振り返って再鑑賞してみると、この第3作目が極めて大きな役割を果たしていたことに気付かされる。
公開当時も、決して評価は高くなかったと記憶しているけれど、シリーズのファンとしては、観れば観るほど味わい深く、多角的に興味深い作品だと思うようになった。
長編監督デビューとなったJ・J・エイブラムスが、本作にもたらしていた映画的アプローチが、その映画作品としての“深さ”を生んでいたことは間違いないし、彼を起用した“プロデューサー”トム・クルーズの眼力も確かなものだったのだと思える。
「M:I-2」における、主人公イーサン・ハントの独壇場的なストーリーテリングを見直し、“IMF”というスパイ組織のチーム感を重要視したストーリー展開を繰り広げたことが、この後のシリーズ作においても重要なポイントだった。
チームの面々のキャラクター性を高め、彼ら一人一人が「作戦」において重要な役割を担うと同時に、必然的に生死を分ける局面に立たされる様を描き連ねることで、大きな緊張感を生み、それに比例して娯楽性も高まっている。
そして、イーサン・ハントという人間が、何よりも「仲間」を大切にするというキャラクター付けを明確にすることで、良い意味で、人間的な“弱さ”や“危うさ”を彼に孕ませることができたのだと思う。
イーサン・ハントというスーパーエージェントは、決して完全無欠の人間ではなく、常に彼本人と、その周囲の人間たちをも危機的な状況に陥らせるという「危険性」を背負い続けている存在だということが、このシリーズ全体に大きな“ジレンマ”をもたらした要因となり、その相反性こそがこの映画シリーズと根幹的なテーマとなっていったのだと思う。
本作においては、そのストーリー構成についても、一見工夫無くシンプルなように思えるが、多層的な仕掛けが潜んでいた。初見時は、なんだか中身の薄いオーソドックスなストーリー展開に対して、否定的な感想を抱いてしまっていたけれど、再鑑賞を繰り返すにつれて、それは180度反転している。
スパイ映画の常套手段である“マクガフィン”を、敢えて“マクガフィン”としてのみ存在させて、王道的でベタなストーリー展開の中で、スパイたちの活躍や作戦をある種メタ的に表現し、そこに孕む危うさや脆さを引き立てていたのだと思う。
その他にも随所に巧みな“外し”のテクニックが光るストーリーテリングも、本作が鑑賞の度に味わい深くなる要因だろう。
また、悪役の造形も非常に秀逸である。
亡き名優フィリップ・シーモア・ホフマンが演じる武器商人は、非常に不気味で非道な悪人であるが、その実、アメリカ政府内の巨悪に良いように使われていた存在でもあった。
ホフマンの演技力と存在感が大きすぎて、いかにも世界を支配しかねない大悪党に誤認してしまうけど、そのキャスティングや俳優の演技プランそのものが、本作が謀ったミスリードでもあり、巧みな映画表現だったと思える。
そんなストーリーテリングや、演出の妙味においては、やはり監督を担ったJ・J・エイブラムスの力量が大きく、シネフィルらしい引き出しの多さと深さも光っていた。
シリーズ通じて、イーサン・ハントの“最愛の人”として大切なポジションにあり続ける妻役のミシェル・モナハンの魅力も忘れがたいし、何と言っても“ベンジー”役としてシリーズ初登場するサイモン・ペッグをキャスティングしたことも、重要なポイントだった。
この前作「M:I-2」で露見していたスパイ映画としての“食い合わせの悪さ”と、それによる「失敗」から学び、反省し、きっちりと軌道修正してみせたことは、トム・クルーズが優れた“映画人”として備えている謙虚さや真摯さを物語っているとも思う。
Information
| タイトル | M:I:Ⅲ(ミッション:インポッシブル3) MISSION: IMPOSSIBLE III | 
| 製作年 | 2006年 | 
| 製作国 | アメリカ | 
| 監督 | |
| 脚本 | |
| 撮影 | |
| 出演 | |
| 鑑賞環境 | インターネット(字幕・U-NEXT) | 
| 評価 | 7点 | 


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