「ああ、もう始まるのか」と、実は今ひとつ乗り切れない感覚のまま開幕したソチ五輪だったが、
実際に始まると、とても熱く、エキサイティングな18日間を世界中に見せつけた、良い冬季五輪だった。
開幕前、我が家の恒例で日本選手団のメダル獲得数を予想し、僕は8個と予想した。
見事的中。ぴったり数が当たったのは初めてかもしれない。
どうしても“期待”が上回るので、多めに予想しがちで、大概届かずに外れてしまうのだけれど、
そういう意味でも、「8個」という日本勢のメダル獲得数は、大健闘だったと思う。
高梨沙羅と浅田真央という大本命が、メダル獲得に至らなかった中でのこの戦績は、
「日本チーム」として、本当に“頑張った”結果だと思う。
大きな落胆はもちろんあったけれど、それ以上に、驚きと歓喜に溢れた冬季五輪だったと思える。
今回、冬季五輪の各種目を通じて最も印象的だったことは、
世界各国の選手間同士が、とても身近な存在で、
深いコミュニケーションの中で国籍を越えて互いに切磋琢磨しているのだろうなということだった。
それはまさに冬の競技ならではのことで、
毎年のシーズン期間、毎週のようにワールドカップを転戦する競技が多いからだろうと思う。
競技を終えた選手たちが、とても親密に喜び合い、讃え合う姿は、とても清々しく、良い光景だと思えた。
ただ、日本チームの各競技において、その世界に対しての「親近感」は、
そのまま「戦績」に直結しているようにも見えた。
世界のトップの選手同士、またはスタッフ同士で、しっかりとコミュニケーションが取れている競技は、
おのずといい結果に結びついているように思えた。
前提として、ワールドカップの転戦において常に上位に食い込んでいるか否かということは勿論あるが、
その上で、各国の選手たちと尊敬し合える関係に至っているかどうか、
互いの「情報」を共有し合える関係に至っているかどうか、
勝負の明暗を分けたのはそういう部分だったと思う。
そういう意味で良好な結果が出た代表的な競技は、スキージャンプだろう。
“レジェンド”葛西紀明に対する尊敬、そして世界中が金メダル獲得を疑わなかった高梨沙羅の存在感、
しっかりと世界から一目置かれる存在になり、ライバル選手らとの力関係を正確に掴んでいたからこそ、
長野五輪以来のメダル獲得に至ったのだと思う。
逆に、2大会ぶりにメダル無しに終わったスピードスケートは、
そういう世界とのコミュニケーションが不足していたように感じた。
五輪直前までメダル獲得を有力視していた選手らがことごとく倒れた。
ベストパフォーマンスが出せなかったというよりも、想定以上に世界と差が開いていたというのが正直なところらしい。
やはり、相手の力量を正確に推し量ることが出来ていなかったことが敗因と言っていいと思う。
そして、競技環境上そういったコミュニケーションが最も密に行われているのであろう、
スノーボード、フリースタイルスキー等の新興競技で、嬉しい快挙が続いたことも、
世界との関係性の重要性が現れた結果だと思う。
要するに、スポーツの世界において「勝利」するためには、
自分たちの国以外の人々とのより親密なコミュニケーションが不可欠だということであり、
詰まるところ「平和」という言葉に帰着するのだと思う。
そういったことに気付かせてくれた今大会は、
オリンピックが、まさに「平和の祭典」と呼ぶに相応しいものであるということを雄弁に物語っていた。
Thank you Sochi , Bye Bye.
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