希望の国の

「この国には何でもある。だが、希望だけがない」

今日読み終えた村上龍の小説の中に登場する中学生が放った言葉だ。

慢性的な金融危機の中、あらゆる側面で退廃していく「日本」。

退廃的なこの国の、愚かなしがらみから逃れようと義務教育を放棄する中学生たち。

日本という国が、金融的な面でも、生産的な面でも、精神的な面でも、

「危機」を迎えているということ。それは確かなことだと思う。

そして、最も危機的なことは、そういう「危機」を皆認識しているのに、具体的な動きを見せないこの国自体の愚鈍な意識そのものだとも思う。

ただし、その現実イコール「希望がない」のかというと、実際それはよく分からない。

まさしくその通りだと思わなくもないし、それは違うと言えなくもない。

すべての人が、淡々と必要最低限のことを効率よく得ようと動いたとしたら、きっと無駄のない理想的な社会環境が構築されるのだろうと思う。

しかし、そこに生きるのが人間である以上、そういうわけにもいかない。

愚かなことだと分かっていても、欲望は止めどないし、妬みもするし、憎みもする。

残念ながら、人が「生きよう」とするためには、そういった要素が少なからず必要らしい。

それが人間の宿命というものらしい。

ただ、そういう善くも悪くも「感情」があって初めて、「希望」というものは生まれると思う。

世の中は、いよいよ混沌としている。

でも、そこに生きる人間がいる以上、希望は無くなることはないのかもしれない。

悲観的な現実の中で、盲目的だろうが何だろうが、それでも光を求め続けようとしなければ、

それこそ、「生きる」意味なんてない。

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(2002/05)
村上 龍

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人間が「生きる」以上、「希望」はなくならないのかもしれない。


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