小説は衝動買いすることが多い。
逆に、あらかじめ読む段取りを立てて購入した小説は、中々読み始めなかったり、読み終えるまでに長い時間をかけてしまうことがしばしばある。
漫画家の西島大介によるカバーイラストに惹かれて、
「陽だまりの彼女」(越谷オサム著)という小説の文庫本を衝動買いして、サクッと読了した。
まずはじめに言っておくと、「満足」には遠い小説だった。
ファンタジー的な要素を盾にしたチープな作品だったと言わざるを得ない。
文庫本の帯には、
「女子が男子に読んでほしい恋愛小説 No.1」だとか、
「完全無欠の恋愛小説」なんて文句が添えられているが、
それらは甚だ的外れで、そのインフォメーションが作品に対する違和感をいたずらに助長しているように思えた。
“恋愛小説として前代未聞のハッピーエンド”というものが、
この物語の最大の売りであり、賛否の焦点になっているようだが、
個人的な感想としては、その焦点そのものがズレまくっているような気がしてならない。
この物語は、ハッピーエンドでもなければ、恋愛小説ですらない。
物語の中盤で「まさかこういうオチなわけはないよな」という思いが浮かび、
結局、その通りのオチだった顛末を迎えて感じたことは、
「落胆」ではなくて、「恐怖」だった。
少々ネタばれになってしまうかもしれないけれど、
これは長く切ない妄想に陥り、そこから最後まで抜け出せなかった一人の男の姿を描いた“ホラー”だ。
少なくとも、僕にはそう思えて仕方がない。
インフォメーションの通りに「恋愛小説」だと言い張るのならば、
たとえファンタジーという要素を踏まえても、
あまりに甘ったるい上に、腑に落ちない点は多く、はっきりと駄作に近い。
だが、可愛らしいファンタジーの仮面を被った世にも不思議な「恐怖小説」だと言うのならば、
執拗な甘ったるさや唐突で軽薄な数々の描写も、非常に巧妙な伏線に見えてくる。
浅はかな感動の裏側に「真実」が垣間見えた時に生じたものは、
切なくて、悲しくて、ある意味おぞましい恐怖だった。
実際、この作者の本当の意図が何なのかは知らない。
作者の作風に関する論評を見る限りでは、穿った見方をした上での偶然の産物である可能性が高い。
しかし、捉え方によって、物語自体がまったくの「別物」になるという点において、
少なくとも議論のしがいはある小説だと思う。
(この文庫版でカバーイラストに西島大介を起用している意味を深読みすると、あながち僕の想像は外れていないと思うが……)
まあそういう物語の本質に対する是非とは別にして、
どういう形であれ、あれほど愛し合っている夫婦が、
すぐその先に陽炎のように見え隠れする「別れ」を前にして言葉を交わすクライマックスは、
問答無用に涙が溢れた。
満足はしないが、それだけで充分とも言えなくもない。
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陽だまりの彼女 (新潮文庫) (2011/05/28) 越谷 オサム |


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