バンクーバーオリンピックが閉幕するタイミングを待って、
一冊の小説を読み始めた。
「オリンピックの身代金」/奥田英朗
1ヶ月くらい前に本屋で並んでいたものを手に取り、表紙を一瞥するなり、
「これは面白そうだ」と、思った。
物語は、昭和39年東京オリンピック開催を目前に控えた日本。
戦後最大のイベントに沸き返る昭和の日本を舞台に、オリンピック妨害を企む青年テロリストと、国家の威信をかけてそれに対峙する警察組織の攻防を、濃密なエンタテイメントで描き出す。
戦後19年で辿り着いた国際都市の象徴としてのオリンピック開催は、
日本中の悲願であり、その成功を誰もが望んだといっても、それは決して過言ではないと思う。
ただし、終戦直後の荒廃からわずか十数年で復興し、発展した陰には、文字通りの「人柱」が存在した。
決して大袈裟な言い回しではなく、数多くの「犠牲」の上に、
高速道路が走り、新幹線が通り、東京が生まれ変わり、オリンピックが開催されたのだ。
首都東京の目覚ましい発展の下、地方では変わらず貧困が蔓延し、貧富の差は確実に広がった。
それは当然、非難されるべきことで、主人公の東大生が、盲目的にテロリストに転じていく様には、
愚かさを覚える反面、必然性を感じた。
しかし、その現実をつきつけられたとしても、
やはり日本は、オリンピックを開催しなければならなかったのだと思う。
発展に犠牲はつきものだなどと、安直なことは言いたくはないけれど、
東京オリンピック開催によって、日本という小国が、あらゆる面において国際都市へと発展したことは事実だろう。
そうではない道も、もちろんあったと思う。
ただ、国としてその道を選択したことに、正解だとか不正解だとかという評価はつけられない。
当時選択された道の先に、「今」がある。
その礎に、闇に葬られた多大な苦労と犠牲があったということを認識して、この道を歩み続けていくしかないのだろうと思う。
きっと、この物語の主人公も、そういう未来を認識した上で、あえてテロリスト行為に殉じたのだと思ったとき、
闇と光が混じり合ったような、不思議な光景を見た気がした。
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P.S.例によって映画化は必至だろうと思う。
主人公のテロリスト役は、瑛太あたりで期待。
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