クリスマスが近づく。ふと、ディケンズの「クリスマス・キャロル」のことが思い浮かんだ。
何歳の頃から忘れたが、或る年のクリスマスに「クリスマス・キャロル」の仕掛け絵本をサンタクロースから貰った。
仕掛けもさることながら、描かれている絵柄自体が外国の絵本独特のタッチで、子供心には少し恐ろしく、だからこそ惹き付けられた。
あの物語の中で、クリスマスの前夜に、傲慢な寂しい老人“スクルージ”の前に現れたのは、
“死神”だったっけ?“悪魔”だったったけ?“天使”だったったけ?
ということを幼い頃の思い出と共に思い巡らせながら、
伊坂幸太郎の「死神の精度」という小説を読んだ。
“死神”というモチーフ自体が、どうしても幼稚に思えてしまって、方々で好評を見聞きしつつも敬遠していた。
愛妻が、繰り返し「伊坂作品の中ではこれが一番良い」というので、
満を持して、いつもの中古本のショッピンサイトで購入に至った。
「短編集」というよりは、“死神”という同一のキャラクターを狂言回しとして、時空とジャンルを超えた様々な世界観を描いたこの作家らしい「連作」だった。
誰しもに平等な「価値」をもって訪れる「死」が、“死神”というキャラクターの目線で描くことで、必然的な客観性をもって冷静に、辛辣に表現される。
いたずらに感傷的に描かないことで、「死」そのものの存在が際立ち、上質な人間ドラマが象られていたと思う。
そもそも「死神」という概念は、「死」という現象をどこまでも恐れ、突き詰め、受け入れようと永遠に思いめぐらせる人間らしいものだと思う。
思考の中で具現化することで、どうにかして「死」の恐怖を受け止めようとした人間の一つの試みなのだろう。
それは、他の生物から見ればとても「無意味」なことに思えるだろうけれど、
その人間の“怯え”こそが、すべての営みと文化の根源なのかもしれないとも思う。
クリスマスや年末に直接関係性があるわけではないけれど、何となくこの時季に読むに相応しい小説だったなあと思った。
ああ、「クリスマス・キャロル」でスクルージの前に現れたのは、
死神でも、悪魔でも、天使でもなく、
「精霊」だった。
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死神の精度 (文春文庫) (2008/02/08) 伊坂 幸太郎 |



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