
評価: 6点
Story
象キャスターのマーガレット(エミリー・ブラント)とサイバーセキュリティのエキスパート、ダニエル(ジョシュ・オコナー)。接点のないはずの二人が衝撃的な機密情報を知ることとなった。やがて、その秘密を明らかにする使命を負った彼らの前に謎の組織が立ちはだかる――。 公式サイトより
映画『ディスクロージャー・デイ』本予告映像<10月1日(木)全国公開!>現代映画史の頂点を築き上げてきた巨匠スティーヴン・スピルバーグ。 『E.T.』(1982年)や『A.I.』(2001年)では監督、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)では製作総指揮など、50年以上に渡り、世代を超えて今なおファン…more
Review
私は、Webサイト制作会社に勤めている。
HP制作に携わっていると、しばしば「ディスクロージャー(情報開示)」ページを用意する必要が出てくる。公共性や公益性の高い企業・組織のWebサイトでは、このコンテンツが必須となるケースも多く、財務情報や経営状態など、文書やデータをずらりと並べたページを作成しなければならない。
一般的に、そのページ自体が閲覧される機会はとても少ない。それでも組織側は、法令や制度もしくは慣習に準じて公開しなければならない。
ここで求められているのは、組織の実態を正確に伝えることも勿論だが、それ以上に、情報を隠したり、誤魔化したりしないという『姿勢』なのだろうと思う。
久しぶりに劇場で鑑賞したスティーブン・スピルバーグの最新作は、その「情報開示」の是非を発端とするSF映画だった。
描き出される題材、映し出される光景、そして辿り着く顛末──そのすべてが、スティーブン・スピルバーグが数多くの監督作で描いてきた世界を彷彿とさせ、まるで“スピルバーグ大全集”のような映画だったとも言える。
ストーリーテリングをざっくりと説明してしまえば、世界の命運を握るほどの重大な「情報」を抱え続けている某組織があり、その真相に気づいてしまった主人公たちをはじめとする集団が、“情報開示”を求めて攻防を繰り広げるという話。
まずこの“情報開示”をするか否かで対立する両者の構図が、現実世界の社会性を反映しており興味深い。
世界の命運を握る秘密組織に対して、情報開示を求めるという主人公側の言動は、一見ヒロイックにも感じるけれど、実は非常に危うい。本作を俯瞰している側からすれば、組織側は、自らが抱える“或るモノ”に関わる情報が流布されれば世界が崩壊しかねないと考え、それを秘匿しているわけであって、一概に私利私欲のために独占しているわけではない。
その状況に対して、“気づいてしまった”からと言って、問答無用に情報を盗み出し、全世界に公開しようとする主人公たちの言動は、劇中でも触れられている通り、いささか安易で乱暴に見える。
情報を開示する権利や必要性があることと、その情報をどのような形で、どのような責任を持って公開するかという問題は、必ずしも同じ視点の高さで考えられるものではない。
この構図が表す問題意識は、まさに今この瞬間の現実世界においても、あちらこちらで巻き起こっている混乱に直結しているように感じる。
テクノロジーの進化、特に現在進行形で混乱と混沌が深まっているAIの功罪に伴い、世界中の情報へのアクセス障壁は極めて低くなり、その管理や制御も曖昧になっている。
秘匿するべき情報までもが、いとも簡単に丸裸にされてしまう今この瞬間の世界は、情報を適切に管理しコントロールする観点において、危機的な瀬戸際に立たされていると言っても過言ではないだろう。
これは極論だけれど、或る情報があって、それが「真実」であればすべからく開示すべきということになってしまえば、きっとこの人間社会は破綻してしまうだろう。
無論、この映画においては、そんな安直な情報開示論を主人公たちが押し通しているわけではない。
スピルバーグは、「伝聞」と「共感」という、2つの“ギフト”を主人公たちに与えている。
そして、この2つの要素こそが、現実世界に通じる混乱と論争に対するスピルバーグなりの“答え”だったのだろう。
真実と虚偽が混交するあらゆる情報が蔓延するこの世界において、人々が疑念を深め、疑心を強くしていく背景には、その伝達における齟齬と無理解が存在している。
物事の真理や真相を正しく共通の言語で「伝聞」し、そしてそれを自らの心理を通して「共感」すること。それが実現すれば、きっとこの世界は“情報”に振り回されることなく、健全に、安寧であり続けられる──
スティーブン・スピルバーグが、本作を通じて伝えたかったことは、概ねそういうことだったろうと理解したし、感動できた部分もある。
ただし、一方で、これはやはり「現実逃避」ではないかと思わざるを得ない部分も根強く残った。
勿論、SF映画である本作に対して、そんなことを求めること自体が本末転倒なのであるけれど、本作のテーマが、今この世界の病理をあぶり出しているからこそ、その違和感をなおざりにはできなかった。
我々現実世界に生きる人間たちには、主人公たちのような“ギフト”が与えられているわけでもなければ、秘密組織が隠している“或る情報”とその核心たる“対象”が存在しているわけでもない。
ならば、この映画の終着点を、その存在が明るみになるという“情報開示”のみで終わらせてしまうというのは、それこそ安直で無責任ではないかと思ってしまった。
かつてスティーブン・スピルバーグは、「未知との遭遇」という映画で、父親である主人公が、家族を残して未知なる存在と共に宇宙に旅立つという顛末を描いた。
「未知との遭遇」は、映画作品として大好きで、大傑作だけれど、つまるところあの作品の顛末も、地球上での生活の果てしない虚無感に苛まれた主人公の「逃避」であることを否定できないだろう。
ただし、あの作品は、スピルバーグによる極めてパーソナルな視座や感情を、SF映画のスペクタクルの中に映し込んだ作品だったからこそ、その映画的な歪さや葛藤も含めて感動できたのだ。
でも、本作の場合はそういうわけにはいかないのではないか。
テーマや題材、そして終着点が、今この瞬間の現実世界と地続きである以上、非現実な事象に振り切って、依存して終わるべきではなかったと思える。
この映画で描かれた「伝聞」と「共感」は、決して高次元の存在に与えられた“ギフト”としてのみ描かれていないことは理解できる。現実世界の我々が、もっと正確に「伝聞」し、相手を心から思いやって「共感」することの重要性は文字通り痛感する。
ただ、現実問題としてその理想を全うすることができないからこそ、この世界は混乱している。
その真理にもう少し踏み込んだ上で、“答え”ではなく、さらなる“問い”が、本作には必要だったのではないかと思える。
そして、その“問い”を踏まえて、めくるめく「情報」に対して、私たちが今本当に示すべき「姿勢」は何なのかを考えていく必要があるのではないか。
超現実的な“ギフト”が与えられて解決するのであればそれは幸福なことだけれど、現実世界は必ずしもそんな幸福ばかりではない。
今私たちに本当に必要なのは“ギフト”ではなく、この混乱を解決していくための問題意識と、それに向き合う姿勢なのだと思うのだ。
そういうことを、大巨匠に提示してほしかった。その思いが強く残った。

Information
| タイトル | ディスクロージャー・デイ DISCLOSURE DAY |
| 製作年 | 2026年 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | スティーヴン・スピルバーグ |
| 脚本 | デヴィッド・コープ |
| 撮影 | ヤヌス・カミンスキー |
| 出演 | エミリー・ブラント |
| ジョシュ・オコナー | |
| コリン・ファース | |
| イヴ・ヒューソン | |
| コールマン・ドミンゴ | |
| ワイアット・ラッセル | |
| ヘンリー・ロイド=ヒューズ | |
| エリザベス・マーヴェル | |
| ヘティエンヌ・パーク | |
| トミー・マルティネス | |
| ギャビー・ビーンズ | |
| ジェレミー・シェイモス | |
| 鑑賞環境 | 映画館(字幕) |
| 評価 | 6点 |
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