
評価: 4点
Story
人気グループへの階段を駆け上がっているアイドルグループ「ハッピー☆ファンファーレ」。人気ナンバー1でセンターを務める山岡真衣(齊藤京子)は偶然、中学時代の同級生・間山敬に再会し、意気投合、恋に落ちる。アイドルとしての立場と恋愛との間で葛藤していた真衣だが、ある事件をきっかけに衝動的に敬のもとに駆け寄るという行動に出るーー。 8か月後、真衣は所属事務所から「恋愛禁止条項」の契約違反として裁判所に召喚される。 「アイドルの恋愛は罪なのか!?」 審判が下る! Filmarksより
【本予告】『恋愛裁判』主題歌入り予告<カンヌ国際映画祭正式出品>【1月23日(金)公開】世界が注目する深田晃司監督による実際の裁判から生まれた問題作。予告映像を公開!主題歌:yama「Dawn」(Sony Music Labels Inc.)<STORY>アイドルが「恋」をすることは「罪」なのか?彼女の選択が今、裁かれる――人…more
Review
齋藤京子が薄いメイクと地味なスーツに身を包み、目に光を失った表情で証言台に立つ予告編とキービジュアルを見て、何か“想定外”のものを見せてくれそうな予感を抱いた。
「恋愛裁判」という、ド直球のようにも、隠喩を孕んだ寓話のようにも感じる作品タイトルにも、何か映画的な“企み”を感じさせた。
まず断言してしまうと、非常に期待値が高まっていた作品だったが、個人的には“ハマらなかった”という印象を禁じ得なかった。
映画作品として、描き出し、表現したいテーマやストーリーテリングは理解でき、それが一定レベルで伝わる作品ではあったが、いかんせん演出も、脚本も、演技も、すべてが少しずつ拙く、水準が低かったと言わざるを得なかった。
少し個人的な嗜好に触れてみよう。
36歳の頃、人生で初めて“アイドル”にハマった。「欅坂46」だった。
世代的には、“モーニング娘。”や“AKB48”を経てきて、それぞれのアイドルグループの好きな楽曲を聴く程度の興味はあったけれど、「欅坂46」には明確に“没頭”したと言える。
さすがに、年齢や家庭を度外視して、金銭をつぎ込むようなことはしなかったけれど、日々彼女たちのパフォーマンスに触れながら、SNSやYouTubeを掘り起こし続けた。
そして、一つの“区切り”として、「欅坂46」にとって、最初で最後となった東京ドーム公演に参戦できたことは、人生の中の良い思い出である。
本作の主演齋藤京子は、「欅坂46」の姉妹グループである「日向坂46(旧 けやき坂46)」の出身なので、個人的なアイドル文脈においても、親しみの深いアイドルの一人。広義の意味では“推し”の一人と言っても過言ではない。
中学生時代から歌手を目指し、ボイストレーニングやダンスレッスン、数々のオーディションを受け続け、一大アイドルグループのセンターポジションまで駆け上がった彼女の経歴は、まさしく本作の主人公を演じるに相応しいと言えるだろう。
そういうわけで、決して“オタク”と呼べるレベルではないけれど、それなりに“アイドル”という文化やビジネスにも傾倒してきた者の一人として、本作を観て感じた率直な感想は、前述の“稚拙さ”と、たなびく“軽薄さ”だった。
「アイドルが恋をすることは罪なのか?」とは、本作のキャッチコピーだが、正直なところ、令和の現代において、その問いそのものがとても“時代遅れ”に思えてならなかった。
そして、その問いをそのまま体現するかのごとく、自分自身の恋愛沙汰に対して額面通りの“裁判”を展開する主人公の言動にも、違和感を拭えなかった。
それは、令和の時代なんだから多様性を重視して、アイドルだって恋愛してもいいじゃないか──などという類型的で、安直なことではない。
そりゃあ、アイドルだろうが何だろうが、人間として恋愛をすることは勿論自由である。
ただし、その“良識”と、仕事上の“ルール”を守らないことは、まったくもって別問題であろう。
本作の主人公・山岡真衣は、「恋愛禁止」というルールが契約上に存在するアイドルグループで“仕事”をしているアイドルである。ならば、そのルールを守って、アイドルという仕事に徹することが、“プロフェッショナル”としての最低限の役割であろう。
それを本当は理解しているくせに、感情に流され、恋愛に身を投じ、それを咎められたことに対して戦い続けるという彼女の姿勢に、時代的な違和感を感じてしまったのだと思う。
つまるところ、何が言いたいのかと言うと、現代社会のアイドルたちは、もっとプロとしての矜持があるということだ。
彼女たちの殆どは、自分自身の「商品価値」を正しく理解し、それを高めるために何が必要か、何が不必要かを、ある種ドライに認識し、アイドルというビジネスに身を捧げている。
そして、彼女たちを推すファンたちは、そういう背景もひっくるめて、惹かれ、熱狂し、愛し続けているのだ。
それは、俗な言い方をすれば、一種の「プロレス」だろう。
でもそこには、アイドルとファン相互の“プライド”があり、互いがこの厳しい社会で生きるための“意味”と“糧”が存在している。
身も蓋もない言い方にも聞こえるけれど、だからこそアイドル文化は、この現代社会に必要不可欠なものとして、形態や手法を変えながら進化し、存在し続けているのだと、私は思う。
そういう、現代アイドルにおける「意識」と「価値」がアップデートされぬまま、前時代的な“恋愛禁止論争”に終止してしまっていたことが、本作の致命的なウィークポイントだったと思う。
本作中においても、一部他のメンバーのキャラクター造形や人間模様においては、現代的な価値観に即したアプローチもあるにはあった。
特に、主人公と親しい二人のメンバーが、選んだ人生や、言動には、そういったアイドルとしての矜持が垣間見えていたと思う。
だが、残念なことに、それらの要素が映画のストーリーテリング上で、それほど上手く機能しておらず、伝えるべきテーマがぼやけてしまっている。
もっと他のメンバー一人ひとりの人生模様や価値観にフォーカスして、現代アイドルの群像劇としてストーリー展開することができていたならば、本作はもっと時代に即した価値を提示できていたと思う。
唐田えりか演じる元アイドルのマネージャーや、津田健次郎演じる事務所社長の人物像も、もう少し深掘りしてストーリーに絡めていくことが必要だった。それぞれ人生における何かしらの“わだかまり”を抱えていそうなキャラクターだっただけに、勿体なかった。
一方、倉悠貴演じる主人公の恋人は、彼が披露する大道芸が象徴するように、文字通りストーリーから浮いていて、異物感を感じてしまった。
ラストのストーリー展開のバランスからしても、この恋人キャラは、もう少しアイコン的位置づけで、こちらは敢えて軽薄に映すことが必要だったとも思う。
私自身、アイドルという文化や彼女たちの生き方をリスペクトしているからこそ、ハマれなかったことへの落胆が大きい作品だった。
「恋愛裁判」と映画のタイトルに冠しながら、映し出される裁判風景はあくまでも彼女たちの心象風景であり、それぞれのアイドルたちが自分たちの心情に“判決”を下しながら、人生を歩んでいく──というような映画的マジックに溢れた作品を本当は観たかった。
と、アイドル関連の思想を語り始めると、どうしても冗長な駄文を綴ってしまうのは、やはり私自身がオタク気質だからだろうか。
作中のエピローグ、寂れたドライブインでラーメンを啜る“きょんこ(ラーメン大好き)”にニヤリとした。その一点だけはきちんと認めて、この駄文を締めたい。


Information
| タイトル | 恋愛裁判 |
| 製作年 | 2025年 |
| 製作国 | 日本 |
| 監督 | 深田晃司 |
| 脚本 | 深田晃司 |
| 撮影 | 四宮秀俊 |
| 出演 | 齊藤京子 |
| 倉悠貴 | |
| 仲村悠菜 | |
| 小川未祐 | |
| 今村美月 | |
| 桜ひなの | |
| 唐田えりか | |
| 津田健次郎 | |
| 鑑賞環境 | 映画館 |
| 評価 | 4点 |
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