『Rome! By all means, Rome.』(ローマ!何といってもローマです)
オードリー・ヘプバーンが、気品高く、意味ありげな美しい微笑を携えて、きっぱりと言う。
初めてじっくりと「ローマの休日」を観て、この台詞のシーンに辿り着いた時、
なんて素晴らしいシーンなのだろうと思い、なんて素晴らしい映画なのだろうと思った。
映画史に残るあの名シーンを、様々な境遇の人々が、夏の最後の日、区民会館の一つのスクリーンで観ている。
そして、それぞれの人々が、それぞれの喜びを一つの映画によって得ている。
その“描写”を読んでいて、涙が溢れた。
涙の理由は、「ローマの休日」の感動を思い出したからだろうか、それとも文体の中の人々と同じように感動を共有できたからだろうか。
たぶん、そのどちらともだと思う。それが、「映画を観る」ということの喜びだと思う。
先々週、県外に住む友人が週末に帰ってきた。街に飲みに行く車中で、一冊の小説の文庫本をくれた。
小説のタイトルは「映画篇」(金城一紀)。
「映画」とその思い出を軸にした5つの人間模様を描いた短編集だった。
タイトルの通り、映画好きにはたまらない小説であったことは言うまでもない。
ただしそれは、話の中に実在の映画作品が登場するからという短絡的なことでは決してない。
物語の中に登場する映画作品自体はメインのテーマではなく、そこから端を発する様々な人間模様、
そこに描かれる“人間の不完全さ”が素晴らしかった。
それは、多くの映画ファンが必ず味わうある“ジレンマ”を表現しているよう思えた。
映画が好きで、観ることをやめられなくて、その世界に没頭し、憧れ続ける。
でも同時に、「現実」は映画のようにいかないことも、映画をたくさん見ているからこそ知っている。
自分は何のために映画を観ているのか?
現実において、より良い前進をするためか?
それとも、つらい現実から逃避するためか?
これもたぶん、どちらともが当てはまるような気がする。
完全な人間など居るわけがない。
前を向いて踏み出したいこともあるし、後ずさりし逃げ出したいこともある。
だからこそ、「映画」は世界中の人間に愛されるのだろうと思う。
各短編のそれぞれの人間模様において描かれる感情はとても多様だが、
僕はこの小説の各話に共通して、そういう人間の不完全さと、故に生まれる「映画」への愛着を感じずにはいられなかった。
人間が不完全である以上、世界には「映画」が必要だ。
ならば、「完全」にならなければならない理由などどこにもない。
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映画篇 (集英社文庫) (2010/06/25) 金城 一紀 |
コメント
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うんうん、やっぱり何といってもローマだよな。