寒波

この冬の寒さもここに極まりという感じで、この数日、大変寒し。

体質的に、僕は非常に寒さに弱くて、季節に関係なく震え出すと止まらなくなる。

ただ、暑い夏は外になんて出たくもないけれど、

寒い冬は、ちょっと出掛けてみようかなという気になる。

きちんと着込んで、唯一露出した顔の肌に冷気が突き刺さってくることは、嫌いではない。

昨夜は午前1時半にジャッキー・チェンの映画を観終わって、

愛妻の眠るベッドに潜り込むようにして眠った。

今朝は午前10時に起きて、いつものように「サンデーモーニング」と「サンデージャポン」を所々早送りで見た。

午前11時過ぎに起きてきた愛妻が、「ミートソースが食べたい」と言うので、

ドライブがてら大洲の「デュエット(スパゲティ屋)」に行くことにした。

無料実験中の高速道路を走り、13時半に大洲着。

スパゲティを食べて、すぐに大洲を後にした。

大学卒業後、就職と共に3年間大洲に住んでいた愛妻だが、驚く程に愛着は無い。

帰りは、少し遠回りだけれど海岸線まわりで行くことにした。

風が強く、海はとても荒れていた。

冬の海は、荒れているぐらいが丁度良いと思う。

もし落ちてしまったなら、ひとたまりもないだろうなというような波の“うねり”を見ていると、

なぜだか胸がすく思いになる。

物凄く高いところから下を覗いたり、台風の日の川の濁流を橋の上から眺めたり、燃え上がる炎を仰ぎ見ている時と、感覚は似ている。

「自分」などではどうやったって太刀打ちできないものと対面すると、逆に気が楽になり、晴々とする。

もうすぐ「自分」の子を産む人と、荒れる海岸線を行きながら、「無理はすまい」と思う。

「理想」はあるし、より良いものを得たい。とは思う。

ただそのすべては、自分たちが成すことであり、それ以外はない。

ならば、何よりも大切にするべきものは、自分たちであり、「自分」であると思う。

そういう考えのもと、一応30年生きてきた。じゃあ、とりあえずそれでいいんだろうと思う。

ショッピングモールに寄って、新しい革靴を買った。

アイスクリームを食べて、帰宅した。

愛妻が、「温泉に行きたい」と言う。

身重での旅行はちょっと怖いので、道後温泉のちょっと良い宿の予約を取った。

夫婦共々、同じように、「自分の想定に反して“普通”の人生を生きているなあ」と思っている。

そこには、言葉にならない物足りなさと、満足感が共存している。

それが、良いのか悪いのか、今はまだ分からないし、分からなくていいと思う。

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