週末、決戦の金曜日。秋の夜長はスポーツの話でもしようかな。
「メイク・レジェンド」なんて思わず眉間に皺を寄せたくなるようなことを成し遂げた巨人。
……のことは、どこかに置いておいて。
ホロ酔いの今宵は、柔道・石井慧の話をしたいと思ふ……。
勝負ことにおいて、勝者こそ「絶対」だとは思う。
そういうわけで、五輪という大舞台、100kg超級という最難関のクラスで、見事金メダル獲得を果たした、石井選手の功績は大きい。
柔道の五輪代表選考を追ってきた僕も、手放しで賞賛した。
彼ならではの、「勝利」にこだわる柔道を貫いて、勝ち取った栄冠は、問答無用に素晴らしかったと思う。
故に。
彼が「勝者」として、どんな言動をとろうが、それは許されるべきことだと思うし、大きな部分でその“言動”は痛快だったと思う。
が、少々行き過ぎてしまった感も否めない。
それは、「プロ格闘家転向」だとかそういう直接的なことではなくて、最後の最後で貫ききれなかったエゴイズムにあると思う。
実際、彼がこのまま柔道界をキッパリ引退して、プロ格闘家へ転向すれば、それなりの批判はあろうが、少々縮小気味の格闘界において、敢然たるニュースターの誕生となっただろう。
そしてそれは、彼がこの時点でプロ格闘家に興味を示さず、4年後のロンドン五輪を真っ正面から挑戦した後でも、揺るがなかったろう。
いや、むしろその価値は高まったかもしれない。
ただ残念ながら、結局どっちつかずの中で、具体的な目標も定められず、柔道界に残る方向に落ち着いてしまっている。
結果的には、圧倒的にマイナスに他ならない。
柔道男子最重量級は、日本柔道界きっての激戦クラスである。
北京五輪の選考試合においても、石井慧は、井上康生、棟田康幸、鈴木桂治ら世界王者らひしめく中を、やっとこさ勝ち抜いての代表であった。
恐らくは、このままの精神状態でのロンドン五輪の道程は、その年月以上に程遠いだろう。
しかし、大不振の中での堂々たる金メダリストとして、21歳の彼に突如訪れた“フィーバー”の大きさを考えれば、少しばかりの“踏み外し”は、仕方ないとも思う。
重要なのは、この後、柔道選手としての石井慧が、どう考え、どう動くかということだと思う。
このままの流れでプロ格闘家に流れるも道。
ただ、今一度、畳を踏みしめ、4年後のロンドンで再び頂点に立つようなことになれば、彼のスーパースターとしての地位は不動のものになることは、間違いないと思う。
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