評価:
10点Story
1789年 自由、平等を求めた市民によって始まったフランス革命。 マリー・アントワネットは斬首刑に処され、国内の混乱が続く中、天才的な軍事戦略で諸外国から国を守り 皇帝にまで上り詰めた英雄ナポレオン。 最愛の妻ジョゼフィーヌとの奇妙な愛憎関係の中で、フランスの最高権力を手に何十万人の命を奪う幾多の戦争を次々と仕掛けていく。 冷酷非道かつ怪物的カリスマ性をもって、ヨーロッパ大陸を勢力下に収めていくが――。 フランスを<守る>ための戦いが、いつしか侵略、そして<征服>へと向かっていく。 Filmarksより
【その男は英雄か、悪魔か―】映画『ナポレオン』12月1日(金)全国の映画館にて公開!<予告3>【英雄】と呼ばれる一方で、【悪魔】と恐れられた男――。巨匠 リドリー・スコット 監督×『ジョーカー』のアカデミー賞®俳優 ホアキン・フェニックス が『グラディエーター』以来23年ぶりの再タッグで挑む<今世紀最大級>のスペクタクル超大作!撮影…more
Review
年末の日曜深夜に158分の劇場公開版を観終えて、床に就いた。
翌日の月曜日は有休を取っていて、年末の大掃除やら、買い物やらと、頭の中のToDoリストは数日前からひしめいていたのだけれど、そこに新たな“やるコト”が急遽飛び込んできた。
そう、「『ナポレオン』のディレクターズ・カットを観るコト」だ。
午前中、最低限の大掃除をこなしながらも逡巡した。何せこのディレクターズ・カット版の尺は「206分」である。年末のこの気忙しいタイミングで、3時間半近くの時間を割くことにはさすがに躊躇したけれど、結果的に言うと大正解だった。
(現状Apple TV+のみでしか観られないことを踏まえると、本作を観ずに試用期間を終了していたとしたらと思うとちょっとゾッとした。)
前置きが長くなってしまったが、結論としては、本作こそが御大リドリー・スコットが描き出したかった「ナポレオン」映画であったことは間違いない。まあ“ディレクターズ・カット”なんだから当然なのだが。
前夜に劇場公開版を観終えた時点で僅かに感じていたことではあったが、このディレクターズ・カットを観た後では、劇場公開版は158分のボリュームにも関わらず、要点を押さえた“総集編”に見えてくる。
あまりにも重要すぎる幾つものシーンによって、このディレクターズ・カットは、より立体的に、よりドラマティックに、ナポレオンという偉人の異様な人間模様を表現し尽くしていた。
タイトルは、「ナポレオンとジョセフィーヌ」にすべき
このディレクターズ・カットにおいて最も重要なポイントは、本作の第二の主人公とも言える、ナポレオンの妻・ジョセフィーヌの人生と人間描写がより明確に映し出されていることだろう。
劇場公開版では、ジョセフィーヌは“ある状況”から既に解放された状態で登場し、ナポレオンと出会う。しかし、本作ではその前段となる彼女が置かれた悲痛な境遇と、そこから連なる“思惑”がしっかりと描き出されていた。
正直言って、このジョセフィーヌにまつわる数々のシーンが有ると無いとでは、彼女のキャラクター自体に対する印象はもちろん、映画作品全体の印象が全く異なってくる。
彼女の歩んだ人生と人生観がより克明に描き出されることで、この映画が映し出す時代背景もより明確になり、何よりもナポレオンが彼女を愛し、心酔した理由がより強く伝わってきた。
ナポレオンを演じるホアキン・フェニックスは言うまでもなく圧倒的な存在感で、歴史上最も有名な偉人の一人の演じきっている。
そしてその主人公像に勝るとも劣らない存在感で本作を“支配”するジョセフィーヌを演じたヴァネッサ・カービーが素晴らしかった。彼女のときに高圧的な視線、艶めかしい肢体、崇高なプライドに溢れたその佇まいは、ナポレオンのみならず本作の鑑賞者すべてを魅了している。
そしてその男は、遠い彼方の地で、一人彼女を想い続ける。
やはり、リドリー・スコットが本作で本当に描き出したかったことは、ナポレオンの英雄譚でもなければ、支配者像でもなく、とんでもない大人物ではありながらも、滑稽で愚かで人間臭い一人の男のあり様だったのだと思える。
一人の女性を愛し、支配しようと懸命になり、依存し、また依存され、別れ、遠い彼方の地で一人孤独に彼女を想い続ける男の一生。
それこそが、現役最強の大巨匠が創造したナポレオン像だった。

Information
タイトル | ナポレオン:ディレクターズ・カット Napoleon: The Director’s Cut |
製作年 | 2023年 |
製作国 | アメリカ/イギリス |
監督 | |
脚本 | |
撮影 | |
出演 | |
鑑賞環境 | インターネット(Apple TV+) |
評価 | 10点 |
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