「ゴジラ死す」というキャッチコピーを掲げられては観に行かないわけにはいかず、劇場に足を運んだことをよく覚えている。
その初鑑賞時は、「最終作」と触れ込んでおいて、前々作から登場させておいた“リトルゴジラ”にちゃっかりと引き継がせる顛末に、裏切られた印象を持ってしまったが、その後何度か鑑賞しなおしてみると、これはこれで悪くないと思えるようになった。
むしろ、1954年の第一作「ゴジラ」へのオマージュとリスペクトをしっかりと掲げ、「平成VSシリーズ」の明確な区切りを付けた今作の在り方は、とても正しく、はっきりと「良作」と言えると思う。
冒頭のキャッチコピーに偽りは無く、第一作目に次いで二作目の“ゴジラの死”を明確に描いたゴジラ映画としても、その価値は高いと言える。
核の権化であるゴジラの死がイコール・メルトダウンに繋がるという展開は、大胆でありつつも、ゴジラのキャラクター性を生かしたナイスな発想だったと思う。
そして何よりも、暴走する体内の核エネルギーで赤く発光するいわゆる“バーニングゴジラ”のビジュアルは、極めて破滅的であり、格好良い。
ラストの劇的な“蒸発”からの“消失”、そして「再誕」の一連のビジュアルは本当に見事。
そのゴジラの最期に対峙する怪獣が、“1954年”に芹沢博士が自らの命を賭してゴジラを葬った際に使われたオキシジェン・デストロイヤーが生み出したデストロイアなる新怪獣であることも、何とも皮肉で、何ともドラマティックだ。(その造型はサイテーにダサかったけれども)
一方で、人間描写もなかなかいい。
酸素研究の第一人者である物理学者を主人公に配し、第一作で志村喬が演じた山根博士の子孫をメインキャラクターに据えた構図は、“1954年”とのリンクをより効果的に成している。第一作でヒロインを演じた河内桃子を同じ役で再登場させるあたりは、新旧のゴジラ映画ファンを喜ばせるキャスティングだったと思う。
(平成VSゴジラシリーズの“心のヒロイン”三枝未希の最終作であることも忘れてはならない)
そして自衛隊の活躍も外せない。
敵う筈も無い相手に無謀だろうが何だろうが挑み続けたことこそが、東宝ゴジラ映画における自衛隊の意地と誇りだったろう。今作ではその長きに渡る苦闘の日々がついに報われている。
過去2度に渡り撃墜された“スーパーX”は三号機にしてついにゴジラを最後まで苦しめ、無事に帰還する。それに乗り込んでいたのがあの“黒木特佐”であることが殊更に胸熱だ。
さらには、長年に渡り破壊され続けてきた“メーサー車”が、冷凍レーザー仕様でついにゴジラを追い詰める。
いやあ最高。
と、ついつい長くなってしまう。
所々というか大部分において陳腐な描写や展開も多く、冷静に観れば決して褒められた映画ではないとは思う。
しかし、第一作目は別格として、平成ゴジラ世代のゴジラ映画ファンにとっては、見れば見るほどバーニングゴジラよろしく熱くなるゴジラ映画だと思う。
「ゴジラVSデストロイア」
1995年【日】
鑑賞環境:BS
評価:8点
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