北海道の山中で行方不明になっていた7歳の男児が、6日ぶりに無事に見つかった。
おそらく、日本中の誰しもが諦めかけた頃合いでのこの朗報は、
久方ぶりに嬉しい国内ニュースとなった。
何はともあれ、「良かった」の一言に尽きるのだが、
今回の騒動は、幼子を育てる親として、とてもじゃないが他人事ではないことだったと思う。
まさか我が子を山中に置き去りにするなんてことは考えられないけれど、
「教育」や「しつけ」という避けては通れない行いの中で、
絶対に“行き過ぎる”ことがないとは決して言い切れない。
一言で「親」と言ったって、不完全なただの人間である。
自分自身が人間として未熟な中で、それでも試行錯誤を繰り返しながら“子育て”をするしかない。
それは、実際、非常にリスキーなことだと思う。
5年前に、自分が親というものになった時から、
子育てというものは、常に多大なリスクと不安を傍らに感じながら生きていくということだなと思っている。
妻のお腹の中にいる頃から、「無事に産まれてくれるだろうか」と不安になり、
いざ無事に産まれてくれたなら、
「大病にならないだろうか」、「大怪我をしないだろうか」、「誰かに傷つけられないだろうか」と不安になり、
「そもそも自分は、子どもたちを健やかに不自由なく、真っ当な人間に育てることができるのだろうか」と不安になる。
そこにあるのは、親である以上、揺るぎない「恐怖」だ。
今回の男児の親も、まさに同じ心境だったと思う。
子を思うからこその“戒め”が、行き過ぎ、取り返しの付かないことになりかけた。
ただし、この親子においては、殆ど覆い尽くされていた不幸が、幸運に転じた。
それはあまりに奇跡的な幸運だが、
それを引き寄せたのは、他の誰でもなく、この親子自身だったと感じる。
子育てというものは、リスクと不安ばかりだが、
だからこそ、その「価値」は大きく、何にも代え難い。
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