広島で66年目の「原爆の日」を迎えた。
福島原発の事故による混沌が続く中、“原子力”自体の是非を念頭に置いて、
これまで以上にこの国の人々が様々な思いをめぐらせる一日になるだろうと思う。
Googleのストリートビューでは、特別企画として普段は立入が出来ない「原爆ドーム」の内部が360度画像で見られるようになっている。
外観からもその内部の状況は想像できたが、実際に見ると、
外壁のみを残した建物の空洞と、おそらくは66年前の被爆時のままであろう散乱した瓦礫が、
より一層過ぎ去った悲壮を物語っていた。
この国が経験した悲しく辛い事実を確実に後世に伝えていくことの大切さを改めて感じる。
その一方で、必ずしも原爆体験と、今この時代に巻き起こっているエネルギー問題を直結して考えていいものかと疑問にも思う。
“脱・原発”とただ唱えることは、必要だと思う反面、安直なことだとも思う。
原発事故により被害を被った諸々の団体が、怒りを露にして電力会社を一方的に非難している。
気持ちはよく分かるが、直接的であれ間接的であれ、すべての国民が原発により電力供給を受け豊潤な生活を維持してきたことも紛れも無い事実であろう。
そう考えると、決してどこか一極に集中して非難できることではなく、怒りの矛先を見失ってくる。
今この時のこの国の危機と混沌においては、すべての国民が被害者であり、同時に加害者でもあるのではなかと思う。
66年前の悲劇を経て、この国は何を学び、どういう成長を成したのか。
それが正しかったのか、間違っていたのかなんてことはどうでもいい。
大切なことは、「そして、これからどうするのか」ということだと思う。
コメント
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誠に同意!