「それでも地球は動いている」
と、“異端者”扱いをされ有罪判決を受けたガリレオ・ガリレイは呟いた。
己の発見や理論を貫き通そうとすることは、
有史以来、世界中のあらゆる研究者にとって、
唯一にして最後に残されるべき「意地」であり、「美学」だと思う。
一連の渦中の中心人物である研究者が、ようやく公の場に再登場し、
己の非に対しての謝罪と共に、
「STAP細胞は存在する」
と、主張を曲げなかった。
彼女を擁護するつもりはない。
彼女が犯した“過ち”は、一研究者として許されるものではなく、
これにより研究者としての道が閉ざされてしまったとしても、致し方ないことだとも思う。
ただし、それでも己の信念を曲げようとしない姿そのものには、
研究者としての「意地」と「美学」が見え、
ある意味、真っ当に思えた。
勿論、その世界の人たちにとってみれば、
正確に証明できない以上、それは机上の空論に過ぎず、
実際、何の意味もないことなのだと思う。
功名に酔った未熟過ぎる研究者が、
一寸垣間見えた幻想にすがっているだけだと言われても、
これもまた致し方ない。
ただ、だからこそ、この出来事に対して、
ただの不名誉な騒動として収拾のみを急ぐべきではないと思う。
騒動の中心人物は未熟で浅はかな一人の研究者だったかもしれないが、
その母体となっている理化学研究所の責任と過ちも、きちんと追求されるべきだ。
個人的には、正直なところ、STAP細胞があるかないかなんてどうだっていい。
こういった騒動の中での、
個人としての研究者の心理、組織としての研究者の心理、
密接なようで実は相容れぬ両者のプライドとプライドの対峙、
その行く末が、とても気になる。
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