
エー、非常に、曖昧デスガ、このブログ「ひとりごとの記憶」というやつも、“一周年”ぐらいというヤツなわけで。というわけで。
うーん。イロイロあったような、ないようなね。正直、何とも言いがたく、「微妙」という言葉を禁じえない。
でもね。実際のところ、イロイロあったわけデスヨ。何もないようで、イロイロと。人間生きていれば、生きているだけで、個人が思いもよらぬ様々なことが否応ナシにあるわけで。
そういうことを、わずかでも表現できたなら、本望だということは、大袈裟でもなんでもなく本心だと思う。
この文章(大概にして駄文)を、“わずか”であっても、読んでくれている人間がいる。と、いうことだけで、実際のところ、「価値」はある。
それは、確かなことだ。
「確かなこと」なんて、実際そうそうあることではない。それは本当に。
だからこそ。
それは、僕が“人間”として生きる上で、とても重要なことだと思う。
『寄生獣』という漫画で、寄生生物“ミギー”が言う。
「道で出あって 知り合いになった生き物が ふと見ると死んでいた
そんな時 なんで悲しくなるんだろう
そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ
だがな それこそが人間の 最大の取り柄なんだ
心に余裕(ヒマ)がある生物 なんとすばらしい!!」
詰まるところ、そんな仰々しいことではない。何の変哲もない一人の人間の営みだ。
でも、それでも、そこに「価値」が全くないなんてことは、僕自身でさえ言えない。何にどう価値があるかないかなんて、とても判断できない。
それくらい、不器用なほどに、複雑だし、だからこそ、「価値」は生まれる。
……フン。なんつってね。
ホロ酔い以上泥酔未満の状態で、そんなことを思ったりしたわけで。
「99のオールナイトニッポン」を耳端で聞きながら、有耶無耶のまま綴った文章かもしれない。
そんなことは。誰にも分からない。
「ただ。」
今日。今年初めての花火をして、その後飲んで、それが「楽しかった」。
そのことを、今この時に記せたなら、それだけで、確かな価値はある。
そう。思わなくは、無い。
なんつって。“それ”すらも「意識」による戯言かもしれない。
実際。キリは無い。ほんと、それこそ永遠に。
あたしだって
花火がしたいわぼけー!

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