ハ行で笑うハヒフヘホー
わかれるときにはバイバイキーン
最後はアンパンチでやられるが
次の回では平気な顔で大あばれ
アンコに塩味、料理にスパイス
アンパンマンにはばいきんまん
やなせたかし
昨年の暑い夏の日、高知県香北町のアンパンマンミュージアムに行った。
もちろん、1歳になったばかりの愛娘を連れて。
僕は、「アンパンマンは子ども向けのもの」と関心が薄かったのだけれど、
初めてミュージアムに訪れて、「やなせたかし」という人物の作家としての崇高さに大いに感銘を受けた。
一つ一つの作品からは、深い温もりと共に、
ファンタジーと現実世界との境界に生きる作家の「覚悟」とそれに伴う「つよさ」が溢れていた。
そして、もっとも印象的だったのが、冒頭に記した“アンパンマン”と“ばいきんまん”の関係性。
やなせたかしは、アンパンマンという「正義」に対するばいきんまんという存在を、
決して「敵」として描いてはいない。
“アンパンマン”と“ばいきんまん”は、表裏一体の「対」の存在。
ぼくがいるからあいつがいる。あいつがいるからおれがいる。
それは、光と影から端を発するすべての世の理に合致することだろう。
その真理が根底にあるからこそ、やなせたかしが生み出したキャラクターや作品は、
すべての子どもたちに愛されるのだと思った。
今、幼い子どもと生活をしている人なら殊更に感じることだろうが、
世の中は「アンパンマン」のキャラクターで溢れている。
子どもを連れてどこへ行っても、アンパンマンに出会わない日はない。
その度にねだられてどこの親も大変だろうけれど、その状況は本当に凄いことだと思う。
たぶん、今日の知らせは、日本中の子どもたち以上に、彼らを育てる親たちを悲しませたことだろう。
本当に、悲しい。
彼が作詞した「手のひらを太陽に」の詩の意味が、また心に響く。
ぼくらはみんな 生きている 生きているから 悲しんだ
生きているから、悲しいことが起こる。けれど、悲しいことがあるから、嬉しいことがある。
だから、とにかく何かを食べて、生きていかなければならない。
その「思い」の結晶が、“アンパンマン”と“ばいきんまん”だったのだろう。
遅れてきた「巨星」の瞬きは、この先もずうっと輝き続けることだろう。
やなせたかしさん、心よりご冥福をお祈り致します。
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