東日本大震災の発生から一週間ほど経った頃から、自分の私生活においてある「変化」が起こった。
それは、あまりテレビを見なくなったということだ。
多くの現代人の例に漏れず、自宅にいるときは基本的にテレビをつけて生活をしていた。
ところが、今は、「見たい」と思う番組がない時はテレビを消すようになった。
そして、これがもっとも特筆すべき変化だが、“ニュース番組”をあまり積極的に見なくなった。
「変化」の要因は、やはり大震災に対する「報道」の在り方にあると思う。
震災直後は、当然あらゆる情報を入手したかったので、延々と放送される報道特番をかじり付くように見続けた。
どの放送局も予定を一切変更して災害報道を昼夜ぶっ通しで展開したことに対しては、至極当然のことだと思った。
ただ次第に「違和感」を感じるようになった。
史上稀に見る大災害の発生によって、ありとあらゆる「情報」が錯綜しているはずなのに、各放送局が報道する内容はあまりに似通っていて、画一的だった。
端的に言ってしまえば、災害の派手な被害状況の映像ばかりを流し続けて、インパクトのある情報ばかりを朝から晩まで何日も繰り返し伝えていたように思う。
そこには「報道」の重要性よりも、少しでも多くの不特定多数の興味を引き付けることばかりを考えた番組戦略が見え隠れするようで辟易した。
必要以上に悲壮感や感動を煽る「演出」、短絡的であまりに建設的でない批判の応酬にも嫌気が差した。
そういう理由で、なんとなくテレビを見ることがしんどくなってきた。
見たい番組は事前に判別して見ることが出来る。録画も大容量で簡単に出来る。
日々の「報道」は、べつにニュース番組を見なくたって、ニュースサイトやツイッターで充分だ。
本当に詳しい情報が知りたい時は、新聞を読めば良い。
「情報」は溢れかえっている。「情報」は与えられるものではなく、選び取る時代だと思う。
「情報」を取捨選択する“能力”が今後ますます必要になってくるだろうと思う。
今のテレビは、そういう時代の流れに即していない。
テレビが今のような“伝え方”を続けるようであれば、その「衰退」は必至だろう。


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