12月、気ばかりが早って仕方がない。
心忘れる中で、今週ももう水曜日。
半ばやけになって、先日夫婦で湯布院旅行に行ってきた両親にもらったワインを開けた、……いや空けた。
ワインを飲みながらNHKのニュースを見ていると、
ここでも、酔狂の果てに暴行を受けた市川海老蔵の釈明会見の報道が流れた。
普段、芸能ニュースはまずNHKでは放送されないが、
そこはやはり「歌舞伎」自体の敷居の高さが伺える。
このニュースに関して、これまでは特に憤りも同情も何も無かった。
ああいう性格の人間が酒を飲めば、そういうことも起こり得ることだったろうし、
高慢な態度も、幼少期から歌舞伎界の“宝”として育てられてきたことを考えれば、必然的だと思う。
そもそもが、ああいう特異な世界において、常識的で真っ当な価値観で捉えること自体が無意味だとすら感じる。
なので、事件後の会見の模様についても、特にどうと思うことなく聞いていた。
事件の概要についても、反省の弁についても、幾ばくかの“偽り”はあるのだろうと感じつつも、そんなことはどうでもいいことだと思った。
ただ唯一、憤りを感じる問答があった。
或る記者が、「(彼の芸の売りである)“にらみ”に今後影響はないのか?」と問うた。
それに対して彼は、「にらみが出来るかどうかなど今は考えていない」と答えた。
返答の真意は分からないが、それは違うんじゃないかと思った。
今回の事件の概要について「警察の捜査の関係上答えられない」などと連発することは構わない。
ただ、「歌舞伎役者」という“芸能人”である以上、
自信の「芸」に直結することについては、何よりも真剣に向き合い、返答すべきではないのか。
僕自身は、別に市川海老蔵のファンなどではないけれど、
市川海老蔵という歌舞伎役者の本当のファンが気にかけていることは、
「事件」と彼の関係性などではなく、
彼が今後どういう「芸」を再び魅せてくれるのかということに他ならない。
「事件」によるマイナスイメージの修復なんて実際どうでも良いことで、
自分自身が、“芸能人”としてこの後、一体どういう「表現」が出来るのか。
そういうことに対する強い意識を見せない限り、彼が「本物」になることはないだろうと思った。
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