“ロリポップ”が、いわゆるペロペロキャンディーのことだと知ったのは、大人になってからだった。
以来、まだロリポップを口にしたことはない。
作家のよしもとばななが公式サイトの日記で、「号泣した」と記してあった少女漫画を、
全7巻まとめてネットで衝動買いしたのは、1ヶ月半くらい前だった。
届いてから今まで、何となく少女漫画を読みたいという気分になれなかったので、
1冊も手を付けずに平積みして放置していた。
昨日ようやく、何となく少女漫画を読みたいという気分になってきたので、
おもむろに1巻目を手に取り、読み始めた。
「微糖ロリップ」/池谷理香子
翌日も当然朝から仕事だったのだが、
最後まで読んでしまいたくて、睡眠時間を削ることにした。
最後の7巻目を読み終えて、午前1時を回っていたが、
眠る気になれずに、最終話を何回か読み返した。
良い漫画の最終巻を読んだ後には、度々こういった感じになる。
感情の余韻に浸り、幸福感に包まれる。
ストーリーやキャラクターが良いというわけでは決してないと思う。
少女漫画にありがちな突飛で安っぽい設定から物語は始まり、
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、色恋沙汰の大波小波を繰り返す。
登場するキャラクターにはそれぞれにどこか人間的に“厭な”部分があって、
決して心からは愛着が持てないまま、物語は進んでいく。
するといつの間にか、主人公だけではないすべての登場人物に感情移入してしまっていることに気づく。
それぞれのキャラクターの“厭な”部分はそのままなのに、その言動を理解し共感してしまっている。
それはこの漫画が、必ずしも綺麗でハッピーなことだけを並べ連ねていないからだと思う。
人間の“厭な”部分も、制御できない感情も、愚かさも、危うさも、脆さも、滑稽さも、
時に生々しいほどに曝け出すように描いているから、
次第に、どの人間(キャラクター)も、
「ただ一生懸命に生きているだけなんだ」ということに気づかされる。
人間の醜い部分を見据えて、認めるからこそ、その本質的な愛らしさと素晴らしさが見えてくる。
登場人物たちの感情は、些細なことで荒れ、気持ちはフワフワと揺れ動く。
そういう描写には、説得力が無くて、リアルじゃないと一寸感じたけれど、
ふと自分自身を立ち返ってみると、
人の感情の流れに説得力なんてそもそも無くて、
リアリティなど、その価値観自体が無意味だということにたどり着く 。
紆余曲折を経て、ラストは都合良くハッピーエンドを迎える。
ただ、その都合よさも含めて、「生きる」ということはそんなもんだよなあ。と、妙に納得してしまったし、都合よくあるべきだとも思った。
どうでもいいことで眠れなくなり、結構ヘビーなことを一晩で乗り越えられる。
それは、人間の“ステキ”なあやふやさだと思う。
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微糖ロリポップ 1 (りぼんマスコットコミックス クッキー) (2007/04/13) 池谷 理香子 |


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