『ミノタウロスの皿』は、藤子・F・不二雄のSF短編漫画で、人間の一方的な価値観の滑稽さをシニカルに描いた傑作だ。
あらすじは大体次のようなものだ。(ウィキペディアから一部引用)
宇宙船の事故により、命からがら地球によく似た未知の惑星に緊急着陸した主人公。
彼は、その星でミノアという美しい少女に出会い、彼女に恋をする。
しかし、その星は地球で言う所の「牛」にそっくりな種族が支配する世界で、
彼らは地球で言う所の「人間」にそっくりな種族を家畜として育てていた。
ミノアはその家畜の中でも特に育ちの良い“牝”で、
民衆の祭典で食べられるという「栄誉」を与えられた運命に有ると言う。
その事実を知った主人公は、言動の限りを尽くしてミノアを助け出そうと奔走する。
が、彼の主張はまったく通らない。当然である「家畜」の命を救う道理はないからだ。
ミノア本人もその現実を受け入れており、むしろ祭典で食べられることを心から名誉なことだと思っていた。
主人公の思いは空回りのまま、ミノアは祭典の会場へ運ばれていく。
打ちひしがれた主人公は、地球からの救命船により帰路につく。
その帰路で、主人公は泣きながら、待望のステーキを頬張った。
ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉) (1995/07) 藤子・F・不二雄 |
宮崎県での口蹄疫の感染拡大、その連日の報道を見ていて、この短編漫画のことを思い出した。
感染地域内の全家畜を殺処分するという政府の対策が決まったと聞き、
どういう反応をするべきなのか正直分からない。
報道番組であざとく映し出される子牛や子豚の映像を見て、「かわいそう」などと思うことは、
あまりに安直というよりも、そもそもの観点がずれている。
畜産農家の人たちの苦悩を察しようとしても、実際に家畜を育て売り、
それにより自らが生きている人たちの心情を本当の意味で、理解できるはずがない。
かと言って、非常事態に対しての適切な対応だと言うのもまた安易すぎると思う。
たぶん、どの観点から捉えても、完全なる正解も、不正解もないのだろうと思う。
これは「災害」であり、それに対して非力な人間は、被害の拡大を抑えるべく出来る限りの対応をするしかない。
ただし、もしこれと同じようなウィルス感染が人間に起こったなら、
果たして「対策」さえ出来るのかどうか。
それを考えると、ただ恐ろしい。
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