少しタイミングが遅くなったが、「9・11」からはや10年の月日が流れたことに思いを馳せる。
あの悲劇の第一報をテレビのニュースの中で伝え聞いた時のことは、今もありありと覚えている。
東京での一人暮らし、2年目の初秋だった。
貿易センタービルに飛行機が突っ込む映像を目の当たりにして、
「なんて酷い事故」だと疑わなかった。
数分後、立て続けに二機目が突入する様を見て、
衝撃と同時に今までに感じたことのない不穏な雰囲気が自分の中に渦巻いた。
「テロ」とかそういう具体的な言葉が出てくるよりも前に、
「ああ、何かが起こり、始まってしまったのだ」と思った。
あれから10年、
まるで何処かの誰かの何かしらの“思惑”にただただ導かれるように、
戦争が始まり、世界中で憎しみの螺旋が繰り広げられた。
情報化の世界において、戦争の様は、とてもタイムリーに身近に伝え続けられたけれど、
情報が入り乱れ、溢れかえるが故に、その全体像と本質がぼやけたまま映し出され、
結局うやむやな終着を見せられているように感じる。
今日のWebニュースで、米国の現役兵士が過去2年間で150人も自殺しており、
さらに退役兵士の自殺は年間で6500人にも上っているということを知った。
なんということだと思う。
とてつもなく不幸な現実だが、敢えて言うならば、
もはや人間という生物の個体は、戦争が出来るようには出来ていないんじゃないかと思う。
何も終わっていないし、何も解決していない。
ただ一番の不幸は、人間全体が、
本当に気がつかなければならないことを、何も気づけていないことのような気がする。
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