人生で一番長い七夕の一日だった。
「日付」にこだわりは全くなかったけれど、
“めぐりあう”というキーワードに着目するならば、これほどふさわしい日もなかったように思う。
2011年7月7日午前5時過ぎ、まどろみの中に、コール音が響いた。
“通常”であれば、普段携帯電話は終日“マナーモード”設定で、着信音を聞き慣れていないので、
鳴り響いている音が、電話のコール音なのか、目覚ましのアラーム音なのか、判別をするのに一寸の時間が必要だったろう。
ただ、この数日はご存知の通り“通常”ではない。
コール音を聴覚に感じるや否や、誰からの電話かということまでほぼ判別がついた。
察しの通り、電話の相手は義母だった。
愛妻が破水し、産院に入ったとのことだった。
8時間前に電話したときには、ほとんど動きがないとの報告から一転した事態。
ただ、電話を受けた時の感情は、驚きではなく、安堵だった。
ようやく“その時”を迎えられるという安堵。
電話を切り、速やかに“出勤”の準備をし、軽四に飛び乗った。
昨夜から降っていた雨がまだ少し残っていた。
20分後産院に着いた。
病室に入ると、義母が苦しむ愛妻の腰をさすっていた。
入れ替わるようにして、愛妻の腰をさすりはじめた。
前日に、「僕の小規模な生活」の第3巻を読み返していたので、
10時間くらいは延々と腰をさすり続けなければならないだろうと、“長丁場”の覚悟はその瞬間から出来ていた。
しかし、愛妻の腰をさすり始めてから1時間経ったか経たないかの時点で、早くも腕が疲労を帯びてきた。
想定外だった。想像以上に、腰をさすらなければならないタイミング、つまりは陣痛の感覚が短かった。
治まったと思えば、1、2分ほどで次のタイミングがやってきた。
「これは、俺の腕がもたない」と早々に思い始めた頃、
助産師さんがやってきて、繋がれている機器を見るなり、「分娩室に入っておきましょう」と言われた。
午前7時半頃、分娩室に入った。
分娩室には夫しか入れないとのことで、いよいよ数時間に及ぶ夫婦二人の“耐久レース”が始まる!と改めて覚悟を決めた。
引き続き1~2分間隔の陣痛の度に、愛妻の股間をこれでもかというくらい強く抑えた。
相当に強くおさえているつもりなのに、
愛妻は、「もっと強く押さえて!出る~」と呻く。
分娩室に入ってまだ十数分。時計は午前8時を差そうとしていた。
少なくともあと数時間はかかるだろう。
何とかお昼までには産声を聞けるといいが。
あまり時間を気にしないことに決めて、
分娩台に上がり愛妻に寄り添うようにして、股間を押さえ、腰をさすりながら、呼吸を合わせた。
まだまだ先は長いはず………。
雨は上がり、朝の曇り空が広がっていた。
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