熱帯夜 切り裂くサイレンよびとめる あげた右手がなんだかこっけい
友達に貰った短歌と共に青春を謳歌する若者たちを描いた小説を読んだ直後、一句詠んでみる僕は、やはり影響されやすい性質だ。
昨夜はなかなか印象に残る夜だった。と、軽口が言えることを幸福に思う。
23時近くだったか、盆休みの疲れもありそろそろ寝ようかと思いながら、ベッドの上で前述の小説を読んでいた。
突如。
“どたーん”という何か重いものが強かに落ちた音が家中に響いた。
次の瞬間、部屋の外から母親と妹の喧騒が伝わってきた。
パニック状態の母親が青い顔をして、僕を呼びにきた。
部屋を飛び出して行くと、洗面所で父親が倒れていた。
恐怖。
口をあんぐりとあけたまま明らかに正気の目を保っていない仰向けの父親の姿を見た瞬間、心配とか焦りとかそういう生半可な感情を素通りして、ただ「恐怖」を感じた。
あらゆる恐れと畏れと怖れ。とにかくこわかった。
母親と妹が、必死に意識のない父親に呼びかけている。
瞬間、すべてを客観的に見なければならないと思った。
客観的になんてなれるはずもないが、せめてそういう意識を強く持たなければならないと思った。
話を少し戻そう。
お盆休みの中日。入院していた父親が退院した。
「胃の全摘出」という大きな手術は無事成功し、予定通りに順調に退院となった。
大きな心配と不安を、父親本人はもちろん家族全員が共有した一月あまりだったが、なんとか一安心という状態のお盆だった。
その翌日の出来事。
もちろん退院したと言っても、100%安心なんてできるわけはなかった。
「油断」をしていたということではないが、意識が薄かったことは確かだったかもしれない。
生まれて初めて、電話の「119」という番号を押した。
一寸、「ほんとうにつながるんだろうか」と意味のない疑いを覚えたが、すぐにつながった。
「どうしましたか?」というおじさんの声。
正確には覚えていないが、「父親が倒れた」ということを開口一番伝えた。
急激に膨らもうとする焦りを必死に抑えつつ、状況をさらに詳しく伝えようとしたが、おじさんの声に制された。
119番にコールしてまず伝えなければならないのは、「必要なのは、消防車か救急車どちらなのか」ということだということを、25歳の夏初めて知る。
「救急車だ」ということを伝え、改めて状況を伝える。
「呼吸をしているか」ということの確認を促され、妹に確認する。
呼吸はしていた。うつろではあったが、その時点で意識も戻りつつあるようだった。
そのことを電話の向こうに伝えて、救急車を待った。
想像よりもずっと早く救急車はやってきた。
けたたましい音と赤い光の点滅を見慣れた熱帯夜にまき散らしながら。
家の前まできた救急車を、まるでタクシーでも止めるみたいに手をあげて呼び止めた……。
長い長い夜になる。今までの人生の中で、最も長い夜になるのではないか。
そういう覚悟みたいなものも心の奥の方で秘めつつ、救急車の後を追った。
が、覚悟は杞憂に終わった。
2時間後、家族は父親を含めて全員家に帰り着いていた。
父親が倒れた原因は、脱水症状だった。
誰がどう見ても完全な病み上がりだというのに、「体の体温調節を元に戻すため」とか言ってエアコンのない居間で過ごしたり、炎天下に出歩いたりしていたらしい。
気象史上に残るかというこの酷暑である。
健康な人間でも平気ではいられないのに、胃を取ったばかりの人間が何を考えているのか。
病み上がりに気がはやる気持ちは分かるが、浅はかにも程がある。
病院からの帰路には小さな怒りすら生まれたが、怒りを感じれることに幸福を覚えたのは、初めてかも知れない。
「きょうふ」から「いかり」にかわるその瞬間 「こうふく」をおぼえあばらぼねおさえる
肋骨は、益々痛い。
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