最近観た想像以上に面白かった映画と、想像以上に面白くなかった映画、2本の日本映画の話を。
「桐島、部活やめるってよ」を鑑賞してもう半月以上経つが、
いまだに時々映画各シーンのことを思い出しては、自らの高校時代の「記憶」が彷彿される。
青春映画って実は苦手だったりする。
「青春」というものの捉え方は実のところ人それぞれで、一概に「これが青春だ」と括れるものではない。
だから、青春自体の感動を謳った映画を観ても、大抵の場合、酷く安直に思えて白けてしまう。
でも、この映画はジャンル分けするならば明らかに「青春映画」でありながら、その存在感は異質だった。
その限られた時間が、良いものであるとも、悪いものであるとも、この映画は結論づけない。
そこに映し出されるものは、多くの人が経てきたであろう「高校生」という時間と社会の歪さ。
西日に照らされる光と同時に存在する影、どちらを肯定し否定するわけではなく、
その両方が平等に描かれるからこそ、
かつてその時間を過ごしたすべての人にとってフラットで、
尚かつ記憶の深い部分を刺激する映画に仕上がっているのだと思えた。
主題歌がなかなか頭から離れなくて、ついにiTunesでダウンロードしてしまった。
一方、
「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」は、最低だった。
前作の「3」が最低最悪だったので、映画館にまで行くべきではないということは承知していたのだけれど、
15年来このシリーズのファンで、何度も何度も過去作を繰り返した者の心理が、
「もしかしたら……」という一抹の期待を生んでしまった。
「駄作」であることは覚悟して、見事に事故った。
何が悪いと並べ立てると本当にきりがなくて、ストレスが溜まる。
ならば何も言わなければ良いのだけれど、それはそれで余計にストレスが溜まる……。
詰まるところ、最も許せないことは、作り手が観客をあまりに馬鹿にしているということだ。
ファンがこのシリーズのどういったところを愛したのかということを完全に無視して、
愚かな程に安易で工夫の無いシークエンスを適当に並べ立て、
あとは仰々しく「FINAL」とか銘打ってプロモーションをして、
客が集まりさえすれば良いという醜悪で傲慢な態度が満ち溢れている。
映画としての面白く無さに対しての怒りを通り越して、胸糞が悪くて仕方が無い。
一見、この2本の映画が、日本映画の光と影という関係性のようにも見えるが、
「光」に対して、このもう一方を「影」と位置づけることすらおこがましい。

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