「それでも夜は明ける」<9点>

2014☆Brand new Movies

 

最終盤、この映画は数十秒間の不思議な長回しを映し出す。
主人公が、悲しみとも喜びともつかない表情を浮かべ、それが微妙に変化する様を延々と映し続ける。
その表情が何を表していたのか、明確にはならない。
しかし、強烈に惹き付けられ、次第に彼と二人っきりで対峙しているような感覚さえ覚えた。

その“表情”のロングカットが表していたものは、徹底的なまでの「無力感」と、それと共にただひたすらに流れた「時間」そのものだったのではないかと思う。

結局、この映画の主人公は“何もできなかった”。
彼が生き延びることができ、元の人生に生還できたのは、ただ「運」が良かっただけだ。

度重なる私刑で息絶えていたかもしれない。
衝動的に逃亡して奴隷ハンターに惨殺されていたかもしれない。
手紙は届かずまた裏切りにあったかもしれない。
そしてついに絶望し自ら命を絶ったかもしれない。

そう、彼以外の殆どすべての無数の奴隷たちのように。

たまたま運が良く生き延びた彼は、たまたま運が良く救いの手が差し伸べられた。
しかし、それは彼ただ一人に限った話であるという「現実」。
当然そこには生還したことに対してのカタルシスなど微塵も無かった。
農園主の偏愛により虐げられ続けた“パッツィー”が解放されることは無かっただろうし、子どもと引き離された母親は一生再会することはなかっただろう。

あまりにも愚かしい不条理に対しての徹底的な無力感。主人公が絶望の果てに感じ取ったものは、それ以外の何でもなかったのではないかと思える。

「奴隷制度」は、米国史の暗部と言われる。ただし、この映画は奴隷制度の非道さをただ描いているわけではない。
この映画が描き出したものは、「時代」に関わらず、“人間”の営み総てに通じるこの“生物”が生まれ持った、愚かで悲しい「業」だったと思う。

主人公の表情、農園主の表情、虐げられる者と虐げる者、その両者から滲み出ていた悲しさと愚かさは、対を成し、その根本は皮肉にも同じもののように思えた。

人間は、どこまでいっても自分を守ることしかできない。それはもうどうあがいても揺るぎようのない本質だろう。
誰しも、どの時代であっても、人間は己のその本質に対して、時に抗い、時に受け入れ、闘い続けるしか術を持たないのだと思う。

長編三作目にしてアカデミー作品賞を勝取ったスティーブ・マックイーン監督の絶大な力量は、もはや疑いようが無い。
図らずも「SHAME」に続き二作連続の鑑賞となったが、美し過ぎる映像と共に映し出される人間の本質的な悲しさと愚かさに圧倒された。

「奴隷制度」は決して過去のものなんかではない。今なお世界中で繰広げられている。
そして、それの廃絶は人間にとって決して簡単なことではないだろう。
そういう意味で、この映画は、世界中の人々が自分自身のこととして痛み入るべき作品だと思う。

因みに、この映画の中で「俳優」として最も虐げられていたのは、奴隷を演じた俳優たちではなく、レイシストの農園主を演じたマイケル・ファスベンダーだったと思う。
スティーブ・マックイーン監督の三作品すべてで、ことごとく“厳しい”役どころを要求されているファスベンダーは、よっぽど「相思相愛」なんだなと思える。

 

「それでも夜は明ける 12 Years a Slave」
2013年【米・英】
鑑賞環境:映画館(字幕)
評価:9点

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