というわけで、めでたく第二子を授かった。
「七夕」生まれの長女に続いて、「文化の日」生まれの長男。
なかなか“ねらい”が正確だなと感心する。
結果的には全く問題ない「安産」だったので、何も言うことはないのだけれど、
第二子の妊娠から出産に至るまでの「時間」は、思ったよりも大変だった。
そもそも、“二人目”ということに対して、
僕の中で、無意識レベルでの慢心というか、少なからずの油断があったのではないかと、今となっては思う。
そして、予定通りに進まないことが当たり前なのに、予定外の事象に対して若干の焦りも感じてしまっていた。
新しい生命が誕生するということは、やはり只事ではないのだなと痛感した。
少し振り返る。
遡ること10日程前から、“いつ陣痛がきてもおかしくないよ”という状態になったとのことで、
にわかにそわそわしはじめる。
それから数日間は特に何事もなかったが、なんとなく落ち着かない日々を過ごした。
10月30日が過ぎ去ろうとする23時、「陣痛始まったかも」というメッセージで最初のスタンバイ。
愛妻は入院したが、結局その夜の陣痛は進展せず、自宅待機のまま就寝。
すぐに外出できる服装のまま眠ったけれど、朝まで連絡はなく、普通に起床。
「ハロウィン出産か!?」という思いを一様に持ったが、
結局、愛妻の状況に変化はなくその日は正午過ぎに一旦帰宅。
「焦らすねえ」と思ったが、
よくよく考えれば、僕はハロウィンに対して無闇矢鱈にはしゃぐ社会の風潮を小馬鹿にしている節があるので、
“ハロウィン息子”にならなくて良かったなと、こっそり思っている。
(子供がはしゃぐのは当然だと思うので、愛娘のハロウィン姿は写真撮りまくるけどさ)
明けて11月。とはいえもう今日明日には生まれるだろうとたかをくくり、週末に入った。
さあいつ来るかと構えたまま、11月1日を過ごした。
「スーパーマン」になったばかりの頃のクリストファー・リーヴの恋愛映画を観つつ日をまたいだ。
とても映画の感想をまとめられる心境ではなかったので、すぐに床に就いた。
それから1時間程経った11月2日午前2時半、iPhoneのコール音が眠りを裂いた。
「ついにか!」とまどろみをかき消して、5分で愛妻を実家まで迎えに行き、
深夜の暗闇の中、夫婦二人、産院に向かった。
この時、まだ僕には、出産を控える父親としての慢心があったのだろうと思う。
つづく。
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