自分が生まれて初めてのオリンピックは1984年のロサンゼルス五輪だけれど、
当然ながらリアルタイムでの記憶は無い。
1988年のソウル五輪や1992年のバルセロナ五輪の記憶はかろうじてあるけれど、
熱心にテレビ中継を観たという印象は無い。
自分の意志で、夜更かしをしてでも、しっかりと五輪のテレビ中継を観戦し始めたのは、
1994年の冬季大会、リレハンメル五輪だったと思う。
そのちょうど20年前のオリンピックで、銀メダルを獲得した日本人選手が、
20年後のオリンピックで再び銀メダルを獲得するなど一体誰が想像できただろう。
葛西紀明の銀メダル獲得は、やはりとんでもないことだ。
五輪7大会連続出場の41歳の“伝説的”な選手が、メダルを獲得したということ。
日本人として、スポーツファンとしてこれほど興奮し嬉しいことはなかった。
しかし、競技後すぐに僕たちは“レジェンド”と称される選手の本当の「価値」をまだ見誤っていたことに気付く。
41歳の“レジェンド”は、競技直後のインタビューで「4年後」を語った。
思わず笑ってしまったが、次の瞬間改めた。
このあくなきアスリートとしての探究心こそが、葛西紀明というスキージャンパーの価値なのだと思う。
「長野五輪」の雪辱はよく取沙汰される。
勿論それは彼の大きな動機の一つであることは間違いないのだろうけれど、
決して彼はその悲劇的な境遇に固執しているわけではないのだと思う。
ただただ飛び続けたいから飛ぶ。
本質的なモチベーションはどこまでもシンプルで、どこまでも研ぎすまされているのだと思う。
「伝説」は終わらない。
41歳で出来たことが、45歳で出来ないわけがない。
葛西紀明の笑顔を見ていると、そんな途方も無いことが当たり前に思えてくる。
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