ある漫画とある映画

小学校5年生か、6年生くらいだったろう。いや、4年生か、もっと下だったかもしれない。

あれはたぶん、小学校の図書館だったろうと思う。

初めてその「漫画」を手に取った。

今でこそ、保有している漫画本は2000冊以上で、自信を持って「漫画好き」と公言できるけれど、

小学生当時はそれほど自宅に漫画本があったわけではなかったように思う。

両親も漫画好きだけれど、それほど積極的に子に漫画本を買い与えることはしていなかった気がする。

そういう教育方針だったのか、単にケチだったのか知らないけれど、

基本的に、自分の持っている漫画は、自分自身が買い集めた記憶がある。

というわけで、おそらく多くの小学生たちと同じように、

学校の図書館で見つけた「漫画」を、小さな高揚感を持って手に取ったのだろうと思う。

そして、まんまと、ぶちかまされた。

見てはいけないものを見てしまったように思い、

最初はパッと見てすぐに本を閉じてしまったかもしれない。

でも、当然、「これは何なんだ!?」という好奇心と罪悪感が入り交じったような衝動を抑えきれるはずも無く、

1ページ、1ページを恐る恐るめくっていったような記憶がある。

中沢啓治の「はだしのゲン」とは、そういう漫画だ。

「戦争」の断片は、実際にそれを体験した祖父母から聞いたことはあったけれど、

日本国土において、それが本当はどういうものだったのか、

そして「原爆」とはどういうものだったのか、

そういうことを“ビジュアル”として初めて触れたのは、間違いなく「はだしのゲン」だったと思う。

勿論、小学生の僕はショックを受けたし、精神的なダメージも確実にあっただろう。

ただそれは、僕にとっては必要なダメージだったと思う。

同じような経験としてもう一つ思い起こされるのは、

「風が吹くとき」という英国産のアニメ映画を初めて観たときのこと。

核戦争の悲劇を片田舎の老夫婦の視点で描いた名作だが、

小学生のときに自宅で観た夜、

怖くて怖くて、悲しくて悲しくて、

メソメソと泣いてしまい、眠れなかった。

「風が吹くとき」の原作もグラッフィクノベルで、まさに欧米の漫画である。

時代も国もアプローチも違うけれど、核爆弾の恐怖と戦争の愚かしさを描きつけている点では、

「はだしのゲン」と非常に似通っているなと、今さらながら思う。

「はだしのゲン」にしても「風が吹くとき」にしても、

それから歳を重ね、漫画好きになり、映画好きになった後も、

再び読んだり観たりする気になれず、今なおまともに再見していないと思う。

僕にとっては、明らかな「トラウマ」となっているのだろうと思う。

今、当時のことを思い返してみても、恐ろしさと悲しみがぶり返してきて、涙が滲んでくる。

ただし、これはほんとうに必要な「トラウマ」だったのだと思える。

良い漫画や、良い映画は沢山あるが、必ずしもそのすべてを何度も見返す必要は無い。

ただ一度の「鑑賞」で、その作品が持つ価値と意味のすべてが伝わる場合もある。

必ずしも作品のすべてをちゃんと読んだり観たりする必要もなくて、

断片的であっても、部分的であってもいい。

何も感じなかったなら、それもいい。

たとえトラウマを与える程のダメージを伴ったとしても、

世の中には知らなければならないことが沢山あって、

そのほんの一握りを、これらの作品はふいに教えてくれる。

だからと言ってそれを無理強いすべきではないし、

個々人が必要ないと思うのならば、避ければいい。

ただし、受動的であれ、能動的であれ、必然であれ、偶然であれ、

それらの作品に触れる「機会」そのものを、「制限」するということほど愚かなことはない。

………と、思う。

この問題が世の中に持ち上がってから、ずうっと思うところがあったのだけれど、

なかなかまとまらず、

いざ綴りはじめても、やっぱりまとまらなかった。

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中沢啓治

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コメント

  1. MZD より:

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