三が日の間は本当にぼんやりしていて、年賀状も届いた順に“流し読み”した程度だった。
今夜、住所録の名前や住所の変更を兼ねて、今年届いた20枚程の年賀状を今一度読んだ。
自分もそうだが、やはり家族持ち(特に子供持ち)の人たちは、
趣向を凝らした写真入りの気合いの入った年賀状を送ってくる。
そして、自分たちの親ばかぶりを棚に上げて、
愛妻とともににやにやと他人様の年賀状にダメ出ししたりしている。
また東京の一人暮らし時代以来会っておらず、
年賀状の繋がりしかない人たちからも結婚の報告などが届いていて、
とても懐かしく、そして嬉しく思った。
愛妻が某郵便関連企業勤務だからというわけではないけれど、
メールやインターネットのソーシャルネットワークサービス等で、
割と簡単に遠方の知人と繋がる可能性が広がっている現代社会だからこそ、
無性に葉書一枚の繋がりが貴重に思える。
去年は、一年を通して、悲しいことや嬉しいことがこんがらがるくらいに色々と巻き起こり、
その度に、孤独感や幸福感を感じ、何かに寄り添い繋がるということの価値を改めて知った。
今年も日本中で、嬉しいことも悲しいことも巻き起こるだろうけれど、
大切なことは、如何なる時も良い悪いは別にして、自分は何かしらと繋がっていて、
とりあえず“生きている”ということを感じることだと思う。
まだ具体的な目標は定まっていないけれど、
今年は、より一層、自分が“生きている”ということを日々の生活の中で感じられる一年にしたい。
と、部屋のカレンダーをようやく取り替えた夜、とりとめもなく思った。
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