「風立ちぬ(2013)」<10点>

2013☆Brand new Movies

 

「狂おしい」

エンドロールが流れ始めたとき先ず浮かんだフレーズはこれだった。
ストーリーそのものは、とても古風でオーソドックスに見えるけれど、過去の宮崎駿作品のどれよりも、もっとも“狂おしい”までの感情に埋め尽くされた映画だと思った。

正直なところ、初見時は、良い映画かそうでないかの判別すらもなかなか付かず困惑してしまった。
もの凄く良い映画を観たという満足感と、拭いされない消化不良感が混じり合い、悶々とした日々を過ごした。
そして、封切り時の初見から一ヶ月を経た盆休みの最終日に再度劇場に足を運んだ。

ようやく辿り着いた結論は、やはり、「大傑作」だった。

映画世界に対峙し、己の理屈においては明確な拒否感を感じている筈なのに、涙が溢れて止まらない。こんな映画は初めてかもしれない。

その“拒否感”の大部分は、「主人公」に向けられたものだったと思う。
この映画の主人公は、優秀な好青年である。善人であることも間違いない。
ただし、同時に「変人」であることも揺るがない事実だ。
堀越二郎と堀辰雄、実在した二人の人間に「敬意を込めて」と謳っているが、この映画で描かれる主人公の姿は、明らかに宮崎駿自身の投影であり、その「変人」ぶりにそのすべてが表れていると思う。
そういう意味では、この映画が過去作のどれよりも宮崎駿にとってパーソナルな作品であることも確かであり、それ故の“狂おしさ”なのだとも思える。

主人公の言動を理解し難い面は多く、主人公は世の中のすべての人から非難されてもおかしくはない。
しかし、唯一彼のことを非難しないのは、他の誰でもなく彼が愛した人である。
主人公自身が自分を呪ったとしても、ヒロインだけはどこまでも彼を守り愛し抜くだろう。
ならばそれがすべてだ。

余命幾ばくも無い病床の妻を囲い仕事に没頭する主人公も、養生を放棄し命を縮めても夫のもとで過ごしたヒロインも、その姿には、少し狂気じみたものを感じる。

彼らは二人の間にあるはずの“障壁”なんて何もないように、繰り返しキスをして、そして愛を営む。
この「幸福」は二人だけのもの、そしてこの「悲哀」も二人だけのもの。
そこには、“観客”も含めて、周囲の他人が入り込む余地は全くなかった。
その二人の姿は、あまりに独善的で、歯がゆいけれど、何よりも美しく、涙が溢れた。

そう、この映画の主人公、そして宮崎駿自身が追い求めたのは、“美しさ”以外の何ものでもない。
誰に理解されなくとも、自分自身にとっての「美」を最後の最後まで追い求める。
この映画は、そういう“彼ら”の生き方における「覚悟」を描いた作品だと思った。

ほんとうは、誰しもそういう風に生きてみたい。
けれど、それを貫き通すための覚悟は並大抵のものではなく、諦めざるを得ない。
初見時に感じた「困惑」は、そういう彼らの生き方に対しての個人的な羨望が渦巻いた故のものだったのかもしれない。

「ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれどしあわせ」

あまりにもはまり過ぎている“荒井由美”の「ひこうき雲」が延々と頭の中をめぐる。

映画館を出た。真夏の太陽が眩しかった。
空の青は、少し、狂気的に見えた。

 

「風立ちぬ(2013)」
2013年【日】
鑑賞環境:映画館
評価:10点

コメント

  1. […] ☆「風立ちぬ(2013)」 (レビュー) […]

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