立ち位置による価値観

この世に生を受けて30年。

善し悪しはともかくとして、どう転んでも、自分が社会というシステムの中の一つの“パーツ”であることは、

たぶん否定できないことだろうと思う。

“システム”という表現の中には、何かしら(もしくは誰かしら)の「意図」が含まれているものを表しているとも思うし、

そういうことを超越した存在の一側面を表したものと捉えるべきだとも思う。

いずれにしても、「自分」は、自身の意識に応じて動いているに見せかけて、実のところ大いなる意思に動かされているのだろうと思っている。

そのことが良い悪いではなくて、

重要なことは、

その中で自分自身が「幸福」なのか、そうではないのかという“判断”を出来るのかどうかということだろう。

そして、「そうではない」と判断したとき、自身を取り巻く環境に対して果たしてどういう行動が取れるのか。

この三日ほどで読んだ小説が描いたことは、そういうことだったのではないかと思った。

読んだ小説は、もう彼の著作は片っ端から読んでやろうとこっそり決めている“伊坂幸太郎”の「モダンタイムス」。

モダンタイムス(上) (講談社文庫)モダンタイムス(上) (講談社文庫)
(2011/10/14)
伊坂 幸太郎

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モダンタイムス(下) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)
(2011/10/14)
伊坂 幸太郎

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伊坂幸太郎らしい世界観に予想通りに引き込まれ、文庫本で上下巻に分かれている長い作品だったが、一気に読めた。

ただし、引き込まれた反面、最終盤の高揚感にはやや欠けていた。

物語の中で、「逆転の発想」というキーワードが度々用いられるが、ストーリーの大筋にはそれ程劇的な「転換」があるわけではなく、ある意味オーソドックスだったなという印象に結した。

「ゴールデンスランバー」と並行して書かれた作品らしく、物語のテーマに類似点は多い。

どちらも、「国家」という巨大な力に対峙する主人公の奮闘が描かれる。

「ゴールデンスランバー」の主人公は、巨大な力に対してひたすらに“逃げる”。

そして、この「モダンタイムス」の主人公は、ひたすらに”闘いに挑む”。

“逃げる”物語と、“闘う”物語、奇妙なことに高揚感を覚えたのは前者だった。

ただし、この小説の中で幾度も描かれるように、

すべての物事は、それに対する立ち位置と捉え方次第で、いかようにもその形を変えるものだと思う。

或る物事に対して、どういう立ち位置で、どう捉えるのか。

それによって「物語」は、娯楽にもなり、悲劇にもなる。

二つの似通った小説が表すことは、そういうことのように思える。

ゴールデンスランバーゴールデンスランバー
(2007/11/29)
伊坂 幸太郎

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