「レディ・イン・ザ・ウォーター」<6点>

2013☆Brand new Movies

 

ハリウッドきってのセレブ親子主演の最新作「アフター・アース」の日本版トレーラーにおいて、かつて一世を風靡したはずの「監督」の名前が一切表示されないことをあまりに不憫に思い、改めて“彼”の未見作品を見直してみることにした。

“彼”とは勿論、M・ナイト・シャマランのことである。

1999年の「シックス・センス」があまりに大ヒットしてしまったため、大衆向けの娯楽映画監督という印象が強く付き過ぎてしまい、その後の「特異」な映画世界に対する大衆の拒否感が必要以上に高まってしまった感のあるシャマラン監督。

個人的には、一番大好きなのは世間的には酷評が目立つ「アンブレイカブル」なので、一概に大衆向けの映画監督だとは思っていなかったけれど、その後の「サイン」「ヴィレッジ」にまったく面白さを感じられなかったので、以降彼の作品からは疎遠になっていた。

気がつけば実に9年の空白を経て、“シャマラン映画”を観ることになった。
率直な感想だが、とりあえず善し悪しは別にして、たぶん、この作品の映画世界こそM・ナイト・シャマランという映画人が本当に描きたい世界観なのだろうと思える。

正直、映画の世界観に少しでも没頭できなければ、「結局なんなんだ!?」と噴飯もやむを得ない作品であることは間違いない。
僕自身、「面白かったか?」と問われれば、実際「微妙」と答えざるを得ないというのが正直なところだ。

ただし、この特異な映画において、この特異な映画監督が描こうとしていることは、たぶん一貫している。
自分たちが存在し生きているこの世界を、「物語」そのものに見立て、世界そのものの閉塞感や神秘性、そこに生きる人間たちの宿命や運命を、ある部分では間接的に、ある部分では極めて直接的に表現しているのだろう。

それはシャマラン監督自身が、「表現者」として常にこの世界に感じている“ジレンマ”に他ならない。
「物語」がつまびらかにされるストーリーにおいて、シャマラン監督自身が「作家」を演じ、「悪役」が映画評論家なんてのは、どうしても伝えずにはいられない彼の思いがほとばしっているように見えた。

というわけで、この監督が実のところ極めて大衆的ではないということは、この9年前の作品の時点でも明らかだ。
だから、彼の生み出す作品に対して「好き」でなければ、「嫌い」でも「微妙」でも大いに結構なことだと思う。
あまりハリウッドの潮流に流され過ぎずに、映画作家として我を張って、自分の描きたいことだけに集中していってほしいなあ。
と、映画ファンとしては思わずにいられない。

 

「レディ・イン・ザ・ウォーター Lady in the Water」
2006年【米】
鑑賞環境:DVD(字幕)
評価:6点

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