史上最強漫画新説

ご存知の通り、漫画も相当数読んでいる。

「自分」という人格の大部分を形成してきたものは、素晴らしい漫画作品から得てきた感情だと思う。

今年三十路になり、どんどんおじさんになっていくだろうが、これからも漫画を読み続けるだろう。

で、浮上してくるのは、「結局、どの漫画が一番面白いのか?」ということだ。

「そんなもの決められない」と言いそうなところだが、実はこれは断言できる答えがある。

手塚治虫の「火の鳥」か、藤子・F・不二雄の「ドラえもん」か、鳥山明の「ドラゴンボール」か、岩明均の「寄生獣」か、井上雄彦の「スラムダンク」か、

否、それら名だたる漫画家の作品のどれでもなく、

現時点での「史上最強漫画」は、

宮崎駿の「風の谷のナウシカ」である。

と、病気でダウンしたベッドの上で、改めて「風の谷のナウシカ」の原作漫画を全巻読み直してみて再確認した。

風の谷のナウシカ 7風の谷のナウシカ 7
(1994/12)
宮崎 駿

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この漫画に最初に出会ったのは、中学生の頃だった。

立ち寄った本屋で、「風の谷のナウシカ ついに堂々の完結!」という帯が巻かれた最終巻第7巻が並んでいた。

一瞬、「どういうことだろう?」と理解が出来なかった。

「風の谷のナウシカ」は物心がつくかつかないかの頃から大袈裟でなく何十回も見続けてきたアニメ映画だ。

その原作漫画があることは何となく知っていたが、映画公開から十数年経って今更「完結」となっていることが意味不明だった。

何のことはない。映画公開の2年前から連載開始された原作漫画は、映画制作のための幾度の休載期間を経ながら、12年に渡って連載され続けていたということを知らなかっただけだった。

原作漫画と言っても、映画制作のベースにするためのラフなものだろうと高を括っていた部分もあった。

しかし、最終巻の表紙絵から滲み出ている世界観は、それまで僕が知っていた「風の谷のナウシカ」とは、あまりに「異質」だった。表紙絵の中央に描かれている人物が、主人公のナウシカであるかどうかさえ確証を持てなかった。

とにかく読んでみなければと思い、すぐに第1巻を購入した。おそらく、その後三日も経たないうちに全巻を揃えたと思う。

その時の感想は、「衝撃」と言うほかなかった。

本当に、「なんてことだ」と思った。

「完璧」だと信じて疑わなかった映画作品の内容は、漫画作品の第2巻目までを、ストーリーとして完結させるためにまとめあげているに過ぎなかった。

その後に紡ぎ出される圧倒的に緻密で膨大な世界観に、あらゆる感情が揺さぶられた。

映画作品は、環境破壊により世界を破滅させた人間の“業”を、アニメーションならではの娯楽性と、蟲との心の交流を軸とした壮大な慈愛で描いた紛れもない大傑作だ。

ただし、漫画作品は、人間の“業”という価値観を越えて、「生命」そのものの尊厳、併せ持つ美しさと汚濁、さらにその果てにまで突き進んで描かれる。

そこには、「人間」という生物の諸悪を認め蔑み憂いながらも、それでもその「生命」を全うしなければならないという、「生きる」ということに対する「覚悟」が溢れている。

特に最終巻、ナウシカが自らが生きる「世界」の隠された真の意味に辿り着き、生と死、光と闇の狭間で在るべき姿を見出していく様は圧巻だ。

クライマックスで漫画の中のナウシカはこう言い放つ。

「いのちは 闇の中の またたく光だ!!」

今、日本は大災害による苦境に立たされている。

原発事故の危機はもちろん、地震や津波による甚大な被害も、

広い視野で捉えれば、人間が人間として生きてきた故の“業”なのかもしれない。

規模の大小はあれど、世界各地で日々同じような「苦悩」は頻発している。

しかし、それでも、何がなんでも生き続けなければならない。

ナウシカが放った言葉は、今この世界に突き刺さる。

漫画とか映画なんてものは、別に観なくても何の問題もなく生きられるし、強要されるべきものでは決してない。

そういう価値観も認めつつ、敢えて言いたい。

「風の谷のナウシカ」を読んでいない人は、人生を大いに損している。と。

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