週末、いつも利用している中古本の販売サイトで発注していた漫画が届いた。
先日記した通り、最近、少し昔のことをよく思い出す僕にとっては、痛々しく相応しい漫画だった。
「僕の小規模な失敗」/福満しげゆき
この作品の“後日談”として現在連載されているのが、「僕の小規模な生活」と「うちの妻ってどうでしょう?」。
作者自身の漫画家生活がある程度軌道に乗ってきている様と、
“妻”の愉快さと愛らしさに溢れる連載中の両作品に対して、
作者本人の高校時代から、「漫画」が“仕事”となり得る以前の“暗黒”の数年間を赤裸々に描いているだけに、
圧倒的に、陰惨で、文字通り“小規模”に混沌としている。
この漫画、もう「面白い」とか「面白くない」とかという判別ができる作品ではない。
何故なら、描かれる主人公(作者)の精神状態が、とても他人事とは思えないから。
僕自身は、幸いにも家族や友人に恵まれていた分、実際あそこまで陰惨ではなかったとは思う。
が、主人公の陥る悲観のスパイラルの様は、読んでいて身につまされる。
ナイーヴでネガティブ、でも虚栄心や功名心も人一倍あって、
インサイドへ向かって、ひたすらに悩み、考え込んだ挙げ句、結局何も出来ない日々。
そんな日常をどれだけ過ごしてきたことか。
何処だか分からない人気の無い駐車場で時間を潰したり、
何があるわけでもないのに本屋に寄ってインテリジェンスを装ったり、
アルバイトの面接の連絡をするために電話を手に取り、何時間も尻込んだり、
面接を受けては逃げ出したり、仕事がキツくては逃げ出したり、
そんな日々をただただ過ごして、ついに逃げ場さえも無くなって、現在に至る。
「無駄」と言ってしまえば、確実にそうだろうと思う。
ただ、「無意味」だったとは言えない。
この漫画の存在自体が物語っているように、
どんなに無駄で無意味に思えるような日々でも、
過ぎてしまえば、それは思い出であり、経験という「価値」だろうと思う。
そういうことを証明してくれているようで、この漫画はちょっと特別だ。
…………「価値」と言ったが、実際はそれも自己を肯定するための詭弁のようにも思う。
唯一確実に言えることは、そんな日々の延長線上に、今の日々が存在しているという、ただそれだけかもしれない。
最終コマで描かれる主人公の無言の表情は、
とても言葉なんかじゃ表現できない小規模で巨大な「不安」をそのまま表している。
作者がある程度の「時間」を経たからこそ、漫画として表現できたように、
僕自身も、「時間」を経てきたからこそ、感慨深く思える漫画だと思う。
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僕の小規模な失敗 (2005/09) 福満 しげゆき |
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