「アイアンマン3」<9点>

2013☆Brand new Movies

 

映画鑑賞後、マイカー(軽四自動車)で帰路についた。
アクセルを踏み込む足、ハンドルを回す手、バックミラーを見る目、何ともない自動車の運転において、“メカを操っている”という気分で心なしか高揚していることに気付く。
詰まるところ、「アイアンマン」とは、そういう映画だ。

(実際、その高揚感こそがこのシリーズのすべてだと言っても過言でないと思うので、この後の長々しい駄文は無視して結構!)

「3」なのでもちろんシリーズ3作目なのだが、今作の場合、普通のアメコミヒーロー映画のシリーズ3作目の立ち位置とは大いに異なる。
ご存知、一年前のマーベル・スタジオの社運をかけた一大フェスティバル「アベンジャーズ」を挟んでの、初めての単体シリーズとしての続編だからだ。
幸いにも“フェスティバル”は大成功に終わったが、その後の各ヒーローの単体シリーズに課されたハードルは、高いというよりも、非常に困難なものになった筈。
「アベンジャーズ」で、宇宙規模いや神話規模の強敵と両雄入り乱れる死闘をNYで繰り広げた後に、ヒーロー単体で一体どんな「敵」と戦えばいいんだ?という話に尽きる。

そういった理由と、権利をめぐる製作会社のせめぎ合いも重なり、この「3」の行く末は困難を極めた筈だ。
しかし、結果としてこの作品の製作陣は、見事な結末を導き出してみせたと思う。
“アイアンマン”というキャラクターに対しての思い入れの仕方によっては、とても賛否が分かれるものだったかもしれないけれど、個人的には今作は「脚本」が素晴らしかったと思う。

まず“祭りのあと”の心労を主人公のトニー・スタークに与え、彼にこれまでのシリーズ作では見られなかった「表情」を付加している。
独善的にまで自信家だった彼に、心に植え付けられた明確な恐怖を感じさせ、同時に旗艦である自宅、そして身に纏うアーマーまでもが敵によって破壊されてしまう。
結果、彼は内も外も文字通りに“丸裸”にされてしまい、惑い、彷徨う。
こういう“不安定”な役所を演じさせてロバート・ダウニー・Jrがハマらないわけが無い。

すなわちこの作品は、これまで自身が生み出した自慢の鋼鉄アーマーを纏うことによってはじめて“アイアンマン”と成っていたトニー・スタークが、一度総てを脱ぎ捨て、自ら破壊し、彼自身が“アイアンマン”そのものであるということを見出していく物語に仕上がっている。

そういう物語の意向を踏まえると、妄信的に開発し続けてきたパワードスーツが尽く破壊され、絶体絶命に陥ったトニー・スタークを最後に救ったものこそ、“ペッパー”という彼にとっての最強のアーマーだったというクライマックスの顛末も、とても感動的に思える。

シリーズとして一つの帰着点を描きつつ、ヒーローの新たなスタートをも同時に導き出すことに成功した巧いストーリーテリングだった。

さて、どうやら今作を皮切りに、“フェスティバル”の第2弾への「助走」が始まったと言っていいらしい。
例によって、後に控える大イベントを“餌”にして、ヒーロー単体の映画作品に付加価値をつけるというマーベルのやり方は小憎らしいくらいに巧い。
もはやこちらとしてはノせられる気満々なので、せいぜい金をかけてマイルストーンを置いていってほしいものだ。(個人的にはマーク・ラファロ版「ハルク」を切望!)

そして、すべてを脱ぎ去ったトニー・スタークが、満を持して“フェスティバル”に帰ってくる様を心待ちにしていよう。

P.S.あとどうしても言及しておきたいのが、今作で悪役を演じたガイ・ピアース。
このところの彼の作品の選び方と役柄の振れ幅の大きさは、ちょっとエキサイティングだ。
今作の敵キャラは地味で、ありがちな類いではあるが、ガイ・ピアースのエキセントリックな存在感が、映画のアクセントになっていたと思う。

もちろん、名優ベン・キングズレーのまさかの“フェイク”ぶりも最高だった。

 

「アイアンマン3 IRON MAN 3」
2013年【米】
鑑賞環境:映画館(2D・字幕)
評価:9点

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