零(ゼロ)

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昨年の9月に、家族での鹿児島旅行の際、父親の希望で「知覧特攻平和会館」を訪れた。

そこは、太平洋戦争末期に編成された「特別攻撃隊」、いわゆる「カミカゼ特攻隊」と呼ばれる自爆攻撃隊の資料と、それに殉じた若者たちを祈念する場所だった。

特攻隊として太平洋上に散っていった人たちの顔写真と遺書が、一つ一つ丁寧にずらりと並んでいた。

あまりに非道い現実に目を背けてしまい、とてもその一つ一つを見られなかった。

展示されていた資料の一つ一つに目を通して資料館を出てきた父親は、目が腫れていた。

僕は、当然「戦争」を否定している。

ただし、その「否定」が、どれほど真実味を持ったものかと問われると、甚だ疑問だ。

三十年近く生きてきて、自国が過去に犯した「戦争」という過ちについて、様々な本や映像や話を見聞きしてそれなりに知ってはいるつもりだ。

ただそれは、たった数十年前のことのはずなのに、とても部分的で表面的な情報ばかりに思う。

「物語」としての情報であるならば、150年前の幕末についての方が、よっぽど情報量がある。これは少しおかしいことだと思う。

そういったことを、「永遠の0(ゼロ)」という小説を読んで、ふと感じた。

物語は現代社会に生きるある姉弟が、その存在自体を隠されていた実の祖父・宮部久蔵について調べ始めるところから始まる。

宮部久蔵はゼロ戦のパイロットで、終戦直前に「特攻」で戦死していた。

元戦友たちを尋ね歩くことで見えてくる祖父の意外な人物像と、太平洋戦争の現実を折り重ね、衝撃の事実へと結ぶ。

文庫本にずっしりと重さを感じる程の長編だったが、

その重さにふさわしく、戦争の事実とそこから繋がる現代社会の実態をリンクさせた、非常に面白い小説だった。

小説の面白さを感じると同時に、前述したように、自国が経験した「戦争」の実態に対する自分自身の無知ぶりを改めて感じた。

僕自身の祖父も、もちろん戦争経験者だ。

しかも祖父は、徴兵され太平洋上のどこか南方の島に送られたという話を、小さい頃に聞いた記憶がある。

密林で長い時間を過ごし、蜥蜴や泥水を口にしたということも聞いた。

当時は、僕自身が幼児だったのでそれ以上踏み込んだ話を聞くことが出来なかったが、

今思えば、もっとそういった話を聞くべきだったと思う。

もし聞いていたとしても、祖父は話したがらなかったかもしれない。

きっと勇敢な話や、美談ばかりではないだろう。むしろ残酷で非道な話の方が多かったことだろう。

僕の記憶に残る話も、祖父から直接聞いたのではなく、祖母や父など人づてで聞いたように思う。

ただ、祖父がどういう反応を見せたとしても、「聞いてみる」という行為はするべきだったと思う。

祖父が亡くなってもう12年も経つ。遅すぎることこの上ない。

P.S.ちなみに作者はこの作品がデビュー作だが、元は「探偵!ナイトスクープ」の構成作家をしていたらしい。

あのバラエティー番組の構成作家が、このような「戦争」を描いた物語を創り出したことは意外に思ったが、

主人公らが、限られた情報源から人々を訪れ、自身のルーツである祖父の人間像を探っていく様には、“ナイトスクープ”の展開が重なった。

永遠の0 (講談社文庫) 永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

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「批判」することも「肯定」することも、
先ずは「知る」ということからはじめなければ、
まったく無意味なことだ。


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