巨人の木村拓也コーチがくも膜下出血により急逝した。
「死」は誰にも平等で、だからこそ残酷だ。
ということを、重々分かってはいるつもりだけれど、こういう突然の「死」には、やはりやりきれない思いになる。
プロ野球選手としての彼の人生は、恵まれたものだったと思う。
ドラフト外で日本ハムに入団するも活躍できず、任意引退を突きつけられつつも広島へ移籍。
“雑草魂”でねばり強くプロ野球の世界に存在し続け、代打、代走、守備要員なんでもこなしてプロ野球生活を送った。
“ユーティリティープレヤー”なんて言うといかにも聞こえはいいが、
自分がやれる役割をすべてやるしか、彼にプロの世界で生き残る術はなかったのだと思う。
そうして年を重ね、11年間在籍した広島から巨人へ移籍。
スタープレイヤーが揃う巨人軍への移籍は、地味でスター性の無い彼からしてみれば、事実上の引退勧告と同等だったかもしれない。
しかしそれでも彼は諦めなかった。
層の厚い巨人でも控えの貴重なバイプレーヤーとして存在し続け、プロ生活最後の3年間を全うした。
昨年2009年、現役最後の年は巨人の日本シリーズ制覇に貢献し、有終の美を飾った。
決して順風満帆なプロ野球人生ではなかっただろう。
でも努力し、ひたすらに自身の道を全うすることで、彼はプロ野球選手としての“充足感”を得たと思う。
そういう充実した野球人生を送り、最後はグランドでユニフォーム姿で倒れ、最期を迎えた。
その結末を、慰みをもって「幸福だったろう」と思いたい人もいるだろう。
しかし、それはないと思う。
どんな形であれ、「死」はやはり辛く、悲しい。
突然の死は、殊更に無念で、無情で、やりきれない。
人間が生物である以上、それは誰にでも、いつでも起こり得る現実だということは、分かっている。
分かっていても、僕は、
そのどうしようもない理不尽さに、怒りすら覚える。
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