8月です。
報道番組の特集で、原爆投下時に空襲警報が鳴らなかった謎について検証されていた。
「警報が鳴っていたら……」
もちろんそうであったなら、死傷者の数はいくらか軽減されたのかもしれない。
心情は痛いほど分かる。
ただ、そんな“たら・れば”ほどナンセンスなものはないと思う。
警報が鳴らなかった空襲なんて、他にいくらでもあるだろうし、
何かのタイミングが違っていたなら、原爆投下なんて無かったかもしれないし、
何かのタイミングが違っていたなら、そもそも戦争自体が無かったかもしれないし、
何かのタイミングが違っていたなら、大体、人間自体が存在しなかったかもしれない。
キリが無い。
このところ、昔の写真を大量に見ているので、殊更に思うのだけれど、
今この瞬間の自身があるのは、本当に紙一重の出来事が連なった結果で、
写真に写っていることだけ捉えても、
この時にこの場所にいなかったならとか、
この人とこんなことをしていなかったならとか、
何かがほんの少しでも違っていたなら、たぶん「今」のすべては大きく覆っているだろうと思う。
決して仰々しいことではなく、取り巻く物事のすべては、「奇跡」だと思う。
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